眠れない夜に

 時計の針も頂点を回る頃、エリートオペレーターの宿舎エリアを歩く一人の影があった。大抵の人間は寝ている時間のせいか、彼のほかの人影はない。かつかつとした足音だけが薄暗い廊下に響いている。
 迷いなく続いていたその足音は、一つの扉の前で止まった。ドアに据え付けられたプレートには「Blaze」の文字が刻印されている。
 フードとバイザーに身を包んだその人影──ドクターは、懐から一枚のカードキーを取り出した。それを扉横のセンサーに触れさせると、軽い電子音とともにロックが解除された。ロドスの指揮官である彼には、緊急時用にマスター権限が付与されている。
 ロックの解けた扉が自動で横にスライドして開かれる。もう遅い時間ではあるが、部屋には橙色の控えめな灯りが灯っていた。
 トレーニング器具がやたらと置いてある以外はごく普通の部屋。飾り気の少ないその空間の中、こちらに背を向けてソファに座っている影が一つ。

「ちょっと」

 ぴょこ、とフェリーン特有の耳をはためかせながら、彼女がゆっくりと顔をこちらに向けた。
 濃紺の髪と、透き通るような碧い瞳。ロドスのエリートオペレーターの一人、ブレイズだ。

「レディの部屋にノックもせずに入ってくるなんてデリカシーないんじゃないの?」

 言葉とは裏腹に、親しみのある表情を見せてブレイズは言った。少しだけ意地悪っぽい口調。
 普段であれば、ドクターも「君こそ私の私室にいきなり入ってくるだろう」と返すところだが、今日は違った。

「ブレイズ、本当にいいのか」

 ドクターは一歩部屋に入ったまま、ブレイズを見据えてそう尋ねた。

「いいって、何が?」
「わかってるだろう」

 くすりと茶化すように笑うブレイズに、ドクターはやや苛立ちの入った声で詰め寄る。ブレイズは一瞬だけ気圧される様子を見せたが、すぐに元の表情に戻した。そして、しょうがないな、といった声で口を開いた。

「ごめんって。明日の作戦のことでしょ」

 ああ、とドクターが頷く。
 鉱石病が引き起こす問題を解決することはロドスの命題だ。大抵は穏便な方法で解決を図るが、時には武力行使がやむを得ない場合もある。
 そして、つい一週間前のことだった。武力行使が必要な任務がブレイズの部隊に命じられたのは。

「とりあえずさ、座りなよ」

 何か言いたげなドクターに、ほら、と向かいのソファを指さすブレイズ。ドクターはすぐにでも本題に入りたい様子ではあったが、渋々ソファに腰を下した。
 相対したブレイズはいつものロドスの制服姿ではなく、Tシャツにホットパンツというラフなスタイルだった。
 彼らの間にある小さなテーブルには空の缶ビールが一つ二つ。どうやら先ほどまで飲んでいたようだった。

「ちょっと待ってね。片づけるから」

 ひょい、と空き缶を取り上げて、ブレイズは立ち上がろうとする。不要だ、とドクターは言いかけたが、ブレイズの「いいから」という言葉に遮られた。彼女はアルコールの入った赤い顔でウインクを残し、キッチンに消えていった。
 そして、ややあってから彼女は戻ってきた。先ほどと違うのは、両手に持っているのが空き缶からワインとグラスに変わっていることだ。それをテーブルに置くと、再びソファにその身を預けた。

「ブレイズ。私は飲みに来たわけではないぞ」

 彼女が持ってきたグラスは二つ。この部屋にはドクターとブレイズの二人だけ。一緒に飲もう、という意思表示ととらえるのが自然だ。

「まあまあ。堅苦しい話になりそうだしさ、ちょっとくらいアルコール入れてリラックスしたほうがちょうどいいでしょ」

 ブレイズはそう言いながら、ドクターの同意を得る前にワインの栓を開けた。ドクターもそんな彼女を見て、仕方ないなと諦めた。プライベートで何度もブレイズと飲んでいる彼は、彼女の酒好きな一面を嫌というほど知っていた。
 ただ、いつもはビールを大量にあおる彼女がワインを持ち出してきたのは珍しいな、と思った。彼がそんなことを考えていると、ブレイズによって二つのグラスが鮮やかなワインレッドで満たされていた。

「それじゃ、かんぱーい」

 にへ、と火照った顔を綻ばせて、ブレイズがグラスをかかげる。
 ドクターとしては真面目な話をしに来たつもりだが、いつものサシ飲みと同じテンションの彼女に調子を狂わされてしまう。仕方がないなと思いつつ、彼もワイングラスを持ち、「乾杯」と口にした。
 ブレイズはそんな彼に満足そうに微笑むと、くい、と軽く一口目を呑んだ。

「──うん、美味しい」

 こく、と喉を鳴らして飲み下して、彼女は一言呟いた。
 その様子をドクターはなんとなく見つめていたが、その視線に気づいたブレイズは不満そうな目を向けた。

「ほら、君もそんなの脱いで飲みなよ」
「はいはい、わかってるよ」

 言われて、フードを上げてバイザーを外す。
 ドクターは基本的に素顔を見せることはない。作戦中に携帯食料を摂る時も、ロドス本艦での食事時もだ。
 ただ、彼が強く信頼している相手と一緒の際は、時たまこうして素顔を晒す。そして、ブレイズも彼の数少ない心から気の許せる人間の一人だった。

「うん、確かに美味いな」

 一口飲み下し、ドクターは素直な感想を漏らした。いつもジャンクフードばかり摂っている彼は、味の良し悪しには明るいほうではないのが正直なところだ。それでも、このワインは美味だと評価できるものだった。

「でしょー? 結構したんだよ、これ。いつか飲もうってとっておいたの」
「なるほど。では、大切にとっておいたそれを今持ってきたのには何か理由でもあるのか?」
「んー……なんかそういう気分? みたいな?」
「なんだそれは」

 酔っているせいか、要領を得ないブレイズの回答。思わずドクターも笑ってしまう。その反応がお気に召したのか、ブレイズもくすりと頬を緩ませた。
 戦場では炎のような苛烈さを見せる彼女だが、プライベートでは親しみのある顔を覗かせる。酒が入ったときなどはただのだらしない女だ。
 そのギャップにドクターも当初は少なからず驚いたが、今では普通のこととなった。むしろ、今目の前でくぴくぴとワインをあおっている彼女こそがありのままの姿なのかもしれないとさえ感じる。
 だがどちらにせよ、戦場でその身を焦がして使命を遂行する彼女も、酒の場でウザ絡みしてくる彼女も、ドクターにとって好ましいものだった。彼女も時たま口にするが、互いに信頼しあえるベストコンビといっていいだろう。
 だからこそ、ドクターは今この場に足を運んでいるのだ。信頼して、気にかけているから、明日の作戦にどうしようもない不安が募ってしまった。

「それで、ブレイズ」

 半分ほどまで飲んだグラスをテーブルに戻し、ドクターは声のトーンを落とした。ブレイズもそれを見て、僅かながら目つきが変わった。

「明日の作戦、だっけ?」

 くるくるとワイングラスを揺らしながら、ブレイズはソファに背を預けた。その青い瞳は、グラスの中で揺らめく深紅の液体を見つめている。

「君は本当にいいのか。明日の作戦は困難を極めることが容易に予想できる。……特に君の持つ役割は」
「それはいつものことじゃない。簡単だった作戦なんて今までなかったでしょ?」
「だが今回は特にだ。ブレイズ、それは君だってよく理解しているだろう」

 語気を強めたドクターに、ブレイズは一瞬だけ彼に視線を向けた。

「まぁ、そりゃあわかってるけどね」

 そう一言置くと、彼女はぐい、とグラスに半分ほど残っていたワインを一気に喉に流し込んだ。

「私がやらなかったら他に誰がやるの?」

 空になったグラスへとくとくと二杯目を注ぎながら、ブレイズは鋭い視線でドクターを刺した。
 ぐ、と思わず言葉に詰まる。そう。明日の作戦でブレイズが担っている役割は彼女が適任ということは、ドクターは当然わかっていた。
 以前、源石の密輸組織をロドスが検挙した。その密輸先を調査していった結果浮かび上がったのが、一つの武装組織だった。
 その組織が炎国のとある都市に潜伏している情報をロドスが掴んだのは、約一か月前のこと。中規模の組織であることが判明しており、放置しておけば遠くないうちに被害が出ることが予想される。
 そして問題なのが、偵察を行ったオペレーターから報告されている構成員の情報だ。大半が非感染者で占められているが、一部に感染者もいることが確認されている。しかしその感染者たちは、おおよそ人と呼べる姿ではなかった。
 通常であればありえないほどのサイズの源石結晶が体表にいくつも露出しており、明らかに何らかの外科施術が行われている。収集した限りの情報から、メフィストが連れていた寄生兵やロドスのオペレーターであるスペクターが受けた実験に近いものが行われたのではないかと推測されている。
 今回、彼らの制圧にあたってネックとなっているのがその感染者達だ。真正面から攻略しようとすれば、間違いなくロドス側にも甚大な被害が出る。
 よって、必要なのが陽動だ。単純だが効果的。しかしそれを引き受ける人員には決して小さくないリスクが伴う。
 その役割を自ら引き受けたのがブレイズだった。

「そもそもさ、立候補したのは私だけど、最終的に決定したのは君だよね? それはさ、これが最適だって他でもないドクターが判断したからでしょ? 違う?」

 注いだワイングラスはテーブルに置いたまま、ブレイズは突き付けるように言い放った。彼女の顔はアルコールでほんのりと赤く染まっているが、その目つきはエリートオペレーターのそれだった。
 戦場での彼女がもたらす重圧と似たその言葉に、ドクターは真正面から向き合えなかった。テーブルに置いていた自らのグラスへ逃げるように手を伸ばす。
 こく、と口に含むと、芳醇な甘さと適度な酸味が舌を刺激する。そのおかげで、少しばかりは冷静さを取り戻せた。

「確かにそうだ。最終的に方針を決定したのは私だ。だが、君への負担は大きい。……命の危険だってある」
「でもチームにとってはこれが最善でしょ。こちら側の被害が一番少なくて済む方法だって、この前の作戦会議でドクター言ってたじゃない」
「その『少ない被害』が君だと言ってるんだ。私は──」
「ならどうするの? 何か代案でも?」

 ドクターの言葉をブレイズは悉く撃ち落とす。酒を飲んでいる事実を疑ってしまうほど、彼女は冷静だった。

「代案は……あるさ。陽動を君一人ではなくサポートをつける。あるいはもっと人員を増やして陽動専任の部隊を用意してもいい」
「そんな人的リソースが今のウチにある? ……まぁ無くはないけど、他のオペレーターもそれぞれ任務があるから簡単にはいかないと思うよ。今回みたいな、私にお呼びがかかるくらいに危険な作戦ならなおさら」

 ドクターがまたも何か言おうととすると、ブレイズは「それに」と制した。

「被害が増えちゃうでしょ」

 ブレイズのその言葉に、喉まで出かかっていた反論は引っ込められてしまった。
 彼女の言は至極まっとうだ。いや、そもそも先ほどからブレイズが言っていることはどれも正しい。それはドクターもわかっていた。

「こっちの被害なく終わらせられるのがベスト。それが一番ハッピーだよね。わかるわかる」

 言葉に詰まったドクターへ、先刻とは打って変わって明るい口調で語りかけるブレイズ。ドクターが顔を上げると、柔らかい眼差しで見つめてくる彼女と目が合う。

「でも現実はそう上手くいくことばっかりじゃない。敵の反撃で傷を負うこともあるし、命を落としてしまうことだってある。そういうのは君も私も見てきた。──今回はそれが私ってだけだよ、ドクター」

 もちろん死ぬ気なんてないけどね、とブレイズは付け足した。
 エリートオペレーターは、一般オペレーターに比べて危険度の高い任務が多い。ブレイズ自身、命に関わる危険な経験をしたことは一度や二度ではない。そして、共に闘った仲間が帰ってこなかったことも。
 だからこそ、ブレイズは覚悟ができていた。ドクターを見つめる青い双眸がそれを物語っている。

「それ、は……そうかもしれないが」
「でしょ?」

 不本意ながら肯定の意を示したドクターに、ブレイズは満足そうに微笑んだ。そして、ぐびりとワインで喉を鳴らした。

「だが、ブレイズ。君はとても優秀なオペレーターだ。それは誰もが認めている。そんな君を失うのはロドスにとって少なくない損失だ。なら──」
「他のオペレーターを犠牲にしてもいい、って?」

 ドクターの言葉を遮ったブレイズの声色は、今まで彼が聞いたことないほど冷徹だった。氷のようなその冷たさに凍らされたように、ドクターの思考が停止する。

「ドクター。私はエリートオペレーターであることを誇りに思ってる。それは、たくさんの人が認めてくれているからっていうのも無くはないよ? だけどさ、一番は自分の力でより多くの人の役に立てるから」

 ブレイズはすらりと伸びた白い脚を組みなおし、ドクターを真っすぐ見つめて口にする。ソファに背を預けてはいるものの、その表情と声色からぴりぴりとした真剣さが伝わってくる。
 当然、ドクターはそんな彼女に対して口を挟むことなどできなかった。

「私はね、自分がそこに立つことで一人でも多くの人が救えるなら喜んでその役割を受け入れる。それがエリートオペレーターである私の使命だと思ってるから。──少なくとも、自分以外の誰かを犠牲にするのが使命だなんて死んでも思えないよ」

 その言葉で、ドクターはようやく目が覚めた。ばしゃん、と思い切りバケツの水をかけられたように。

「……ああ。その、すまなかった。さっきの私の発言は、君にも他のオペレーターに対しても侮辱にあたる言葉だった」

 あまりにも周りが見えていなかった。自分がいかに冷静さを欠いていたかをドクターは実感した。
 その自責の念で、ドクターはブレイズの目を見られなかった。ただ、額に手を当てて俯くことしかできない。
 しかしブレイズは、そんなドクターを責めることはなかった。納得したように頷いて、控えめな笑みを向けるだけだった。
 そのまま数秒間の沈黙。ロドス本艦が荒野を進む重低音が響くのみ。

「だいだいさー」

 どこか気まずいその空気を破ったのは、やはりというかブレイズだった。

「ドクターは私がこれくらいのことで死ぬとでも思ってるのぉ?」

 そう口にするブレイズは、からかうような表情をドクターへ向けていた。つい先ほどまでエリートオペレーターの信念を語っていたのが嘘のような変わりようだ。
 彼女と付き合いが浅い人間であれば、困惑してしまうほどだろう。ただ、ドクターにとってはいつものこと。それが、彼の肩の力を僅かばかりほぐした。

「絶対に死ぬ、とまでは思っていないさ。だが死のリスクがすぐそこにある任務なのは間違いない。たとえ君でも」
「そうだけどさぁ……でも今までだって私はそういう任務をやってきたよ? 死ぬような目にあってもちゃんとここに帰ってきたじゃない」

 ワインで唇を湿らせ、「君が指揮した任務でもね」とドクターに視線を向ける。

「確かにそうだ。君は帰ってきた。全身傷だらけで、血塗れになって、心臓が一度止まっても──君は生きて帰ってきてくれた」
「そーそー、そうでしょー?」

 えへへ、と誇らしげな笑みを浮かべて、ブレイズはまた一口ワインを飲む。それでまたグラスが空になった。彼女は当然のように三杯目を注ぎ始める。

「……だから、不安になるんだ」

 とくとくと緋色で満たされていくグラスを見つめながら、ドクターがつぶやく。

「不安?」

 聞き返してきたブレイズに、ああ、と頷く。

「君がボロボロになって帰ってくるたび、不安になる。今日はなんとかなったが、次も上手くいくのか? ほんの少し計算違いがあれば死んでいたんじゃないか? と。だから──」
「不安で仕方なくなって、わざわざ私の部屋に来ちゃったの? 明日の任務は出ないでくれ、って」

 そうだ、と俯いたままドクターは頷いた。
 そんな彼を見たブレイズは、仕方ないな、といった様子でため息を吐いた。

「指揮官はそんなこと気にしなくていいのに」
「非情になれと?」
「時にはそういうことも必要だよ」

 そう口にするブレイズは、濃紺の髪をくるくる弄りながら窓の外に目を向けていた。

「こんな時ばかりは昔の私に戻りたいと思うよ。そうすればこんなに思い悩むことも、君を困らせてしまうこともないというのに」

 昔のドクター。ドクター自身も知っているわけではないが、ケルシーやWから聞いている限りではもっと冷徹な人物だったとのことだ。

「まぁ……そうだね。私もAce達から聞いただけだから以前のドクターがどんなだったかは大して知らないけどさ。……でも私個人としては、甘いところもある今の君のほうが好きだよ」

 ブレイズのその言葉に、ドクターは思わず顔を上げた。穏やかな瞳を向ける彼女と視線が絡まる。心なしか、その瞳は「大丈夫だよ」と伝えているようだった。
 少しだけ、ほんの少しだけその言葉にドクターは救われた気がした。

「ドクター。一つ聞いてもいい?」

 珍しくそう前置きをするブレイズに、ドクターは「なんだ?」と返した。

「どうしてそこまで不安になっちゃうのかなって。今日みたいなドクターは見たことないからさ」

 そう尋ねるブレイズは、どこか所在なさげな目をしていた。ドクターが目を合わせると、彼女は視線を落として続けた。

「意地悪な聞き方だけどさ、危険な任務を誰かに任せるたびに君はその誰かとこんな話をするの?」
「それは……そんなことはないが」
「じゃあ、どうしてドクターは今ここにいるの? どうして、私のことでそんなに不安になるの?」

 ブレイズは再びドクターに視線を戻して問いかける。どうして、と。
 そこに責めているような色はない。が、だからといって疑問符がその顔に浮かんでいるわけでもない。
 いつも通りの微笑。だが、ワインで火照ったその表情の奥底に、自分と同じような不安が見えた気がした。

「……単純だ。君がいなくなるのが嫌だからさ。ブレイズ、君を失ってしまうのがどうしようもなく恐ろしいから。それだけだ」
「それは、私がエリートオペレーターだから?」

 さらにそう問いかけられて、ドクターは気が付いた。今自分が口にしたことが本当のことではないと。
 もちろん嘘ではない。ただ、一番奥底の理由ではなかった。

「いや、違う。──ブレイズ、君は私にとって特別だから。君のオペレーターとしての能力がどうとかじゃなく、一人の人間として──一人の女性として君のことを特別に思っているからだ。……だから、失いたくない」

 それが、本当の気持ちだった。口にしてみればなにも特別なこともない、単純な理由。その事実に、ドクター自身も今初めて気が付いた。

「……そっか」

 ドクターの言葉を聞いたブレイズは、そう呟いて頷くだけだった。照れたりからかったりはせず、ただその言葉を受け止めるように。
 ドクターはブレイズのほうを見るのが気恥ずかしくて目をそらした。窓の外の景色がゆっくりと流れている。荒れた大地と曇った黒い夜空、代わり映えのない風景。
 すっ、と軽い衣擦れの音がして目をやると、ブレイズがソファから立ち上がっていた。そのままテーブルに手を伸ばすと、半分ほど残ったワイングラスではなくボトルのほうを手に取った。
 そして何を思ったのか、そのワイン瓶に口をつけて一気にぐびぐびと飲み始めた。腰に手をついて、まるで風呂上がりのコーヒー牛乳みたいな飲みっぷり。全く脈絡のないブレイズの行動に、ドクターは唖然としてその様を見続けることしか出来ない。
 泥酔した彼女は奇行に走ることもしばしばあるが、まだそんなに飲んでないハズ。もしかして結構度数の高いものだったのか?
 そんなことをドクターが思案していると、ブレイズはあっという間にそれを飲み干していた。だらん、と下げた右手には空のワインボトル。
 それをだん、とテーブルに置くと、おもむろにドクターに近寄ってきた。そのまま目の前まで来て彼を見下ろすブレイズ。部屋の明かりの逆光でその表情はよく見えない。

「……ブレイズ?」

 不安になったドクターが恐る恐るそう声を掛ける。が、それが合図だった。
 ブレイズはドクターの両肩に手をかけると、息つく間もなく顔を寄せてきた。その距離がゼロになる瞬間、どこか寂しげな彼女の顔が見えた気がした。

「ん──っ」

 柔らかい感触が唇に押し当てられる。口付けられた、とドクターが気づくまでには瞬き二つほどかかった。
 それと同時に、太ももの上にのしかかる重さ。ぎゅ、と抱きつかれ、女らしい感触が全身に押し付けられる。
 それをじっくりと感じる前に、唇の方の違和感に気づく。ワインで濡れたブレイズの唇。ぴたりと吸い付くそこから、とろとろと何かが流れ込んできていた。

「んん……っ!」

 それはワインだった。先ほど一気飲みした時の残りだろう。それがゆっくりと、ブレイズの舌からからドクターの口へと伝ってくる。
 彼女の口内で生温くなったソレは、本来よりも甘っとろく感じる。それが何故なのか、なんていうことはドクターの頭の中にはなかった。ブレイズの行為への困惑と、唇と舌の柔らかな快感で全部塗りつぶされる。

「ぷ、は……っ」

 ワインを流し終えたのか、ブレイズが口を離した。はぁ、と互いの吐息が漏れる。
 時間にすれば一分にも満たないほど。だが、ドクターにとってはグラスの氷が溶けきってしまうほど長い時間にも感じられた。

「ブレイズ……なんの、つもりだ」

 はぁはぁ、と息を整えながらブレイズに尋ねる。対する彼女はというと、呼吸もほとんど乱れておらず、楽しそうな笑みを浮かべていた。

「んー? だってドクター、あんまり飲んでないんだもん」

 確かにその言葉は間違っていない。ドクターのグラスにはまだ三分の一ほど残っている。だが、そんなのがただの建前であることは彼にはわかっていた。
 ちゃんと答えろ、とドクターの目がブレイズに向けられる。それを受け止めた彼女は一瞬迷うように目を泳がせたが、観念したように息を吐いて口を開いた。

「ドクター。不安、なんでしょ? だったらさ──私と気持ちいいことしようよ」

 そのブレイズの声色は、ドクターが今まで聞いたことのない艶やかなものだった。言葉だけで背筋がぞくりとして、その先の行為を想像してしまう。

「ブレ──んんっ!」

 ドクターの思考が固まった一瞬で、再びブレイズは口付けてきた。
 今度は下手な建前なんてない、純粋な接吻。それも、より情熱的な行為だった。
 柔らかでありながら肉感のある唇でドクターの口を塞いだかと思えば、その間からするりと一枚の粘膜を侵入させてきた。まずい、と思い唇を閉じたが、ブレイズの方が一枚上手だった。
 彼女は慣れた舌使いで、ドクターの唇のほんの僅かな隙間にその濡れたものを忍び込ませてくる。ワインと唾液で濡れているせいで、ぬるりとした心地いい感触まで与えられる。ブレイズのそんな舌技に、ドクターの抵抗など無意味に等かった。

「ん、ぁ……っ、ちゅ……」

 くちゅ、と湿った音が互いの脳内に響いた。それと同時に舌先に熱いものが触れた。
 一度接触を許してしまえば、あとはブレイズの自由だ。舌先で挨拶のようにちろりと舐めてきたかと思えば、次の瞬間には獲物を飲み込むように奥まで入ってきた。
 ぬちゅん、と官能的な音とともに、二枚の舌が絡まり合う。それが擦れる感覚は、ドクターが今まで体験したことのない快感だった。
 味覚器官であるはずのそれが伝えてくるのは、ぞっとするほどの女の感触。僅かに残るワインの味が舌としての体を保っているが、それもほとんど快楽に塗りつぶされる。

「っは、む……っ、んぅ……」

 繰り返す波のように襲ってくる熱と快感。合間に漏れる悩ましげな吐息も混ざって、ドクターの理性は段々と溶かされていく。
 初めはブレイズの侵入を拒んでいた唇も、だらしなく開いて彼女を受け入れている。まるで凹凸がぴたりとはまるように二人の口腔は繋がっていた。
 そして、熱と湿り気が支配するソコでは、粘膜と粘膜の淫らな戯れが繰り広げられる。ブレイズの長い舌が這いずり回って、ドクターに絡みつく。それは、快楽と共に熱情をアピールしているような動きだった。
 そんなものをまともに受けて、ドクターの頭の中は急速にピンク色に染まっていく。このまま身を任せてしまえば、極上の快楽を得られるだろう、とそんな考えが頭をよぎる。
 しかし。

「っ……やめろ!」

 すんでのところでドクターは思いとどまった。
 どん、と自らに覆いかぶさっていたブレイズの体を突き飛ばす。彼女はそれを予想していなかったようで、うわ、と後ろによろめいた。
 当然唇も離れる。しかし、互いの間に漏れる熱い湿り気と、口の端からこぼれた唾液が先の行為の濃厚さを物語っていた。
 たら、と垂れてくるそれを腕で拭って、ドクターはブレイズに目を向けた。彼の瞳には、快感の残滓がありながらもブレイズへの抗議の意が宿っていた。

「あれ……ドクター、こういうの嫌い?」

 ブレイズは困ったように首を傾げた。その表情はどこか悲しげな色が見え隠れてしていた。

「いや、そういうわけでは……」

 そんな彼女の様子にドクターも歯切れが悪くなってしまう。
 ドクターも男だ。女性のそういう態度には弱い。
 だが、気遣いに無理やり蓋をして続けた。

「こんなことしても……意味、ないだろう。何も解決しない」

 ブレイズの誘惑に身を任せたい自分がいることも、ドクターにとって本当のことだ。
 一時は不安を忘れて楽になれるだろう。だが、状況は何も好転しないし、きっとただ虚しくなるだけ。

「そうだよ。何も変わらない」

 しかしブレイズは、ドクターの反論を肯定する言葉を口にした。
 すぐにでもまた唇を塞がれそうな距離。ブレイズの青く輝く目がドクターを覗き込んでいた。

「こんなことしても変わらない、なんにも解決しない。感染者問題も、明日の任務も、君と私の責務も何一つ変わりはしない。……でもそれは、私たちがここで何をしようと同じでしょ?」

 滔々と口にするブレイズ。平坦な口調には、有無を言わさないものがあった。
 彼女はゆっくりとドクターの首の後ろに両腕を回して続ける。

「なら、こうやって紛らわすしかないんじゃない?」

 囁くような声で、ブレイズは寂しそうに言った。
 ドクターはその言葉に反論することができなかった。彼女の言に納得したわけではない。だが、ブレイズも自分と同じ気持ちなのかもしれないと、そう思った。

「ほら、力抜いて? 全部私に任せてくれればいいんだから」

 ドクターの沈黙を肯定として受け取ったブレイズが、安心させるような口調で言う。
 彼女の体重がゆっくりとドクターにかかる。近づいてくるブレイズの小さな顔。枝垂れる紺の髪がくすぐったかった。

「ん……」

 そうして三度目のキス。それは一番優しい口づけだった。だが、恋人同士が愛を確かめ合うそれとは少し違い、傷口をそっといたわるような、そんなキス。
 氷のように溶けてしまいそうで、だけれど心地のいい温かさもあるブレイズの唇。それが優しく押し付けられる。先ほどの情熱的なものとは異なる、触れ合わせるだけの甘い戯れ。
 ドクター自身がブレイズを受け入れたからか、その感触がより鮮明に伝わってくる。柔らかさはもちろん、しっとりとした潤いや、こちらからほんの少し押し付けたときに帰ってくる弾力。それらは、いつまでだって味わっていたかった。

「っは……」

 だが、お預け、とばかりに唇を離される。というより、ブレイズにとっては挨拶のような口づけだったのだろう。

「やっと素直になってくれた。……それじゃ、全部忘れて気持ち良くなろっか」
 控えめながらも満足そうにブレイズが笑う。アルコールのせいとはいえ、頬に差した朱と合わさってとても魅力的だった。
 そんな彼女と見つめあう。お互いの吐息がかかって、どくんどくんと心臓が高鳴っていた。

「……すまない、今だけは君の言葉に甘えさせてくれ、ブレイズ」
「謝んないでよ」

 ありがとう、と口にして、ドクターはブレイズを抱きしめた。背中へ腕を回して引き寄せた彼女の身体はとても細くて、ブレイズも一人の女性に変わりないのだと実感した。
 ドクターからの初めての抱擁に、ブレイズは一瞬だけ身を震わせた。しかし、すぐに力が抜けた。ドクターの胸に顔をうずめた彼女は、安心したように一つ息を吐いた。

「ブレイズ。ベッド、行こう」

 彼女を抱いたまま、その耳元で囁く。くすぐったかったのか、ぴく、とその体が反応した。それを隠すように身じろぎをしたあと、ブレイズは一言だけ呟いた。

「……うん」


「んっ……ぁむ、っん、あっ……ドク、ター……」
「ブレイズ……ん、はっ……ん」

 絡まりあう二つの吐息に、ぎし、ぎし、と軋む音が重なる。電灯の落とされた部屋の床で、月明りに映し出された一対の影が揺れていた。
 窓際のベッドの上には、つい先刻まで二人が身に着けていたコートやシャツが散乱していた。そしてその中心には、抱き合って濃密な口づけを交わしているドクターとブレイズの姿があった。
 お互いの熱を感じるのに邪魔な衣服はほとんど脱ぎ捨て、二人とも下着姿。抱き寄せあって肌と肌を密着させ、キスの快感に夢中になっていた。

「っ、は──ぁ、は……」

 ふと、ブレイズが唇を離す。絡まりがほどけた舌がドクターの口内から引き抜かれる。ぬと、とその間を糸が引いていた。それはすぐにたらりと垂れて、やがて途切れた。

「ん……ドクターってさ、経験あるの?」

 口の端から垂れた唾液をぺろりと舐めとって、ブレイズはそう尋ねてきた。

「いや、私が知っている限りでは無いが。……それがどうかしたのか?」

 ドクターは作戦や事務仕事続きで、そういう気を起こしたことすらなかった。ブレイズへ抱いていた想いも、今日初めて自覚したくらいだ。
 今もできるだけ平静を保っているが、内心は緊張したまま。黒のブラに包まれているブレイズの胸が押し当てられている感触だけでどうにかなりそうだった。

「いやぁ、なんていうか割と慣れてる気がしたからさ。べろ絡ませてくるのとか結構イイ感じだったし」

 ぺろ、と軽く舌を出しながらブレイズは楽しそうに言った。

「もしかしたら以前の私は誰かと斯様な関係を持っていたのかもしれないな」
「ふーん」

 頭に思い浮かんだことをそのまま口に出したドクターだったが、それを聞いたブレイズは若干声のトーンが落ちた。おまけにジトっとした目を向けてくる。

「それより、君のほうこそ手慣れているみたいだが」

 なんとなく、まずい、と感じたドクターはそう話をずらした。

「私? まあそれなりに人並みの経験だったらしてるけど。……でも感染者になってからは全然ないか」

 ブレイズの瞼が伏せられる。

「……ねぇ、ドクター。ドクターは気に、しないの?」
「なにをだ?」
「感染者と、こういうことするの」

 いつもの彼女なら決して見せない、自信のなさげな表情だった。

「気にするわけないだろう」

 僅かに怒気の入った声だった。それは、ドクターにとって考えるまでもないことだったからだ。
 ドクターの答えに、ブレイズは顔を上げた。そこには安心したような、でもどこか気まずそうな色があった。

「そっか。そうだよね、ごめん」
「別にいいさ。でも君らしくないな」
「あはは……そうだね。なんだろ、私ったらヘンな感じ」

 そしてブレイズは取り繕うように笑って見せる。それはとても痛々しかった。
 だが、ドクターも彼女の気持ちは理解できた。この世界の感染者に対する態度を嫌というほど知っているから。
 ブレイズは強い芯を持っているが、だからといって何もかもに耐えられるわけではない。彼女にも、辛いことの一つや二つあるのは何もおかしいことじゃない。

「いや、私が悪かった。良くないことを思い出させてしまったみたいだ」
「ドクターが謝ることじゃないって」
「いいから。……それに」

 そこでドクターが言葉を区切る。不思議に思ったようで、ブレイズがドクターに視線を向けた。
 ドクターは、彼女の背中に回していた手を上へ滑らせた。白いその身体がこそばゆそうにぶるりと震える。
 首元までやってきた彼の左手は、一度その肌を離れた。そして、そっとブレイズの頬に触れる。

「今は、全部忘れるんだろ。──だから、続きをしよう」
「ぁ……」

 ブレイズの小さな口から吐息のような声が漏れた。それ以上の言葉はドクターが許さなかった。

「んっ……」

 ドクターは優しくブレイズを引き寄せて、その唇を塞いだ。
 僅かに震える紅い粘膜。二度、三度と軽く啄むと、次第にその緊張は抜けていった。
 そして何度か角度を変えながら唇同士で愛し合ったあと、その隙間へそっと舌を差し込んだ。

「んっ、ぁ、ふ……」

 一瞬だけブレイズの身体がこわばる。どこか初々しさのある反応。受けに回るのは慣れていないのかもしれない、とドクターは思った。
 熱く濡れたブレイズの口腔に侵入して、彼女を感じる。溶かされてしまいそうな熱を味わうように、ゆっくりと歯列をなぞっていく。
 そして、彼女の身体をさらに抱き寄せて、より奥まで舌を突き入れた。そこで眠っているブレイズの舌。それを撫でるように絡めとった。

「ん、ン……っ、ぁ、んぅ、は……」

 ブレイズは抵抗などしなかった。ドクターに身を任せ、絡まる舌を差し出す。はぁ、と心地よさそうな吐息を漏らしながら、自分から舌を突き出してまで。
 うっすらとドクターが目を開けると、ブレイズの瞳と目が合った。夜の色をした彼女の眼は、とろん、と溶けたような表情をしている。くちゅ、とドクターが舌を動かすと、擦れる快感のせいか、よりその色が濃くなるようにさえ見えた。
 それに当てられてか、ドクターの中で彼女への強い情欲が昂ってくる。それを止める理由も術もない。
 自然と手が動く。背中に回した右手でブレイズの下着のホックを外し、左手で肩ひもを緩めてやる。すると、ブレイズは自分から腕を肩ひもから抜いてきた。
 ずる、と支えを失ったブラがずり落ちる。ドクターは我慢などせず、片手でその乳房をそっと包んだ。

「ぁ……っ、ん」

 下から持ち上げるように触れる。瞬間、キスの端から漏れる吐息に明確な色香が混ざった。
 そのまま撫でまわすように触れてやると、彼女の体が確かに反応する。ぶる、と震えるようなその反応が、ドクターの劣情を加速させる。

「ん、どく、たぁ……っ、ん、ふふ……」

 しかし、昂っているのはドクターだけではなかった。ブレイズもまたその白い腕を動かし、ドクターの胸板に手を触れさせていた。
 口内とは反対にひんやりとした手指の感触。それはさわさわと軽く胸を撫でた後、少しずつ下へ滑っていく。やがて下腹部まで至ると、ドクターの下着に手をかけた。
 それが何を意味するのかは、誰の目からも明らかだった。ドクターの欲情を主張するように膨らんだ布に、ブレイズは手を忍び込ませた。そして、今にも暴れださんとするソレをそっとその手に包んだ。

「っ……ブレ、イズ──ん、んぅ……」

 ただ軽く握られた、というより触られただけ。それだけだったが、何よりも直接的な性感帯への刺激は、ドクターに決して少なくない快楽をもたらした。
 当然それだけでは止まらず、ブレイズはそれをゆっくりと愛撫し始める。竿の裏筋に指先を這わせて撫でたり、玉の袋を優しく揉みほぐしてきたりと、実に蠱惑的だった。
 そんなことをされて、ドクターのタガも少しずつ外されていく。撫でるだけに近かった彼の愛撫は、次第に肉欲的に変わっていく。
 五指をいっぱいに広げて、ぐにゅ、と揉みしだく。ブレイズの豊満な双丘はよく実った果実のようで、すべては包み切れない。その感触を好きなだけ堪能するのは、たまらない興奮をドクターにもたらす。

「んっ、あ……っ、ドク、タぁ、ん、ン……っ、は……っ」

 ブレイズの吐息も、すでに嬌声と呼べるものに変わっていた。色香を隠そうともせず、ドクターの愛撫に心地よさげな声を漏らす。
 それにつられるように、ドクターのモノを撫でる彼女の手つきもいやらしくなっていく。きゅ、と竿を包み、上下にゆっくりと扱きあげてくる。
 彼女の細くてすべすべとした五指が敏感な肉棒を滑っていく快感は、神経を直接愛撫されるような刺激だった。ぞくぞくとした感覚が全身を駆け巡り、さらに陰茎が硬さを増してしまう。

「ん……っ、あっ、アっ、ドクターっ、んんっ……!」

 ブレイズに応えるように、ドクターの手つきもよりいやらしくなっていく。人差し指と親指で彼女の果実の頂点をつまむ。
 そのままくりくりと転がしてやると、びくっ、と大きくその身体が跳ねた。おまけに長いその耳がぴん、天を向いてしまっている。
 細めた彼女の瞳はドクターの目を見ているものの、どこか夢心地で淫靡な色を映し出している。指先で軽く乳首をひっかいてみると、きゅっと一瞬目を瞑った後にとろりと惚けるその反応がとても可愛らしい。

「っ、あぅ、ん……っ、ちゅ、は、ドクター、っ、どくたぁ──ん、っんん……っアん、んんっ……ふぁ、あぅ、んむ……っ!」

 とどめに、口づけを続けながら舌足らずな声でそう呼んでくる。それは、ドクターの心をブレイズでいっぱいにするとともに、もっとして、とせがんでいるようでもあった。
 その言葉に流されるように、ドクターの右手が下へと降りていく。引き締まった腹筋をなぞり、その先の薄い布へ。
 丸みを帯びたラインを描くソコを覆う黒のショーツ。ドクターはいきなりその中へ手を突っ込むことはせず、その上から軽く撫で始めた。
 指先で触れるか触れないかほどの力で、恥丘からゆっくりと下へ這わせていく。そして尻のほうへ向かう直前で折り返し、また下腹部のほうへ。それを何度か繰り返す。

「んっ、んぁ……っ、あぅ、ドク、ター……っ、んん、ぁ、はぁ、ん……っ」

 そうしていくうちに、彼女の声に切なさが混ざり始める。見つめあっている彼女の瞳も、たまらないといった情動を訴えていた。
 それを見たドクターはその手の動きをやめて、指先をショーツの隙間へと差し込んだ。

「っ……ぁ──」

 その瞬間、ブレイズの口から小さな吐息が漏れた。期待している、とすぐにわかった。
 それを裏切ることなく、右手を滑らせていく。淡く茂る丘を這って、その向こうの細い割れ目へと。
 そこは、ぬとぬととしたもので湿っていた。そして、その湿地帯の源泉へと中指が到達する。あとは、することなど一つしかなかった。

「んンっ……」

 ちゅぶ、と二人の耳には聞こえないほどの小さな音が響く。
 ドクターが思っていたよりずっと容易く、ブレイズの淫口は指先を受け入れた。ぬるりとした感触と生温かさが第一関節あたりまでを包んでいる。
 彼女の膣穴は、侵入してきた異物を締め付けつつも、まだ余裕がありそうだった。ドクターは、ずぶずぶと少しずつ奥まで指を挿入していく。

「んっ、あ、ぁうっ……っ、どく、たー、んんっ、は、んっ……」

 押し上げられるような嬌声が彼女の口から漏れ出す。そしてその身体は快楽に喘ぐように軽く痙攣していた。
 指を突き入れられた彼女のナカからは蜜がとろとろと流れ出てきて、ドクターの手を濡らしていく。それが潤滑油代わりになって、いつの間にか指の根元まで挿入しきっていた。
 柔肉をほぐすようにぬぷぬぷと抜き差しすると、ブレイズは心地よさそうに身体を震わせてドクターへ身を預けてきた。豊満でありながら引き締まった細い彼女の感触が押し付けられる。
 しかしドクターにもたれかかりながらも、彼のモノを扱いている彼女の手は、娼婦のような手つきで容赦なく快感を与えてくる。五本の指を蛇のように竿に絡ませ、しゅっ、しゅっ、と一定のリズムで上下に擦りあげられる。握る力も絶妙で、奥から快楽の塊を持ち上げつつも吐精には至らないもどかしさ。

「は、ぁ……っ、んぁ、あ……ちゅっ、ドク、タぁ──んむっ、んっ、アっ、ぁん……っ」
「ブレイズ……っ、はっ、ぁ……んむ……」

 そうしてお互いの身体を慰め合いながら、唇でも情熱的に愛し合う。舌を絡ませるだけではなく、お互いに吸いあったりして、隅々まで貪り尽くすようなディープキス。
 口腔も舌もどちらのものとも知らない涎でどろどろで、それでも溢れ出るものが口の端からこぼれる。ぽたぽたと二人の顎先から雫が垂れ落ち、シーツを汚していく。
 だが二人にとってそんなことはどうでもよかった。麻薬のような多幸感と快楽物質で頭をいっぱいにして、熱と劣情をぶつけ合うことしか考えられなかった。

「っ、は……ぁ、はぁ、は──」

 唇が離れる。けれど手はお互いの秘部を愛撫したまま。
 その快感で溶けた目のまま見つめ合う。お互いに考えることは一つだった。

「ドクター……シよ……」
「ああ……もう我慢できない」

 交わす言葉は、発情した雄と雌そのもの。溢れ出る吐息は、媚薬でできた香水のようだった。
 ブレイズは軽く腰を上げると、器用な手つきでショーツから片足を抜いてもう片方に引っかけた。それを見たドクターも履いているものを下にずらして、先ほどまでブレイズに扱かれていた肉棒を露出させる。

「あは……がっちがちじゃない。そんなに私に挿れたいんだ」
「……否定はしないが。だがこうしたのは君だろう」
「えへへ、ばれちゃった?」

 意地悪っぽい笑顔を浮かべるブレイズ。
 だが、すぐにその表情が妖しい色に変わる。荒い吐息を抑えながら、ブレイズは軽く腰を持ち上げた。そして、ドクターの首の後ろへ手を回す。

「ねぇ、ドクター……私もさ、こんなに──んっ、なっちゃってるよ……」

 くちゅ、と濡れた音が二人の陰部から漏れる。それは、雄と雌の象徴がほんの僅か触れ合った音だった。ただそれだけで二人に聞こえるほどの音がしてしまうのだから、ソコがどうなっているのかなど火を見るより明らかだ。

「っ……すごい、な。こんなどろどろに……」
「そう、でしょ? 君がこうしたんだから──」

 興奮を無理やり押さえつけているようなブレイズの囁き声。漏れ出る吐息も合わさって、彼女のフェロモンが漂っているような錯覚さえ覚える。それに思わず息を呑む。

「だから、さ……セキニン、取ってよ」

 切なさと劣情がごちゃまぜになった瞳でブレイズが迫る。
 頭で考えるより先に、ドクターは首を縦に振っていた。その瞬間、彼女の目の色が決定的に変わった。

「っん……ぁ──」

 ず、と彼女の腰が落とされる。
 熱い感触と痺れるような快感が全身に走った。ドクターが視線を落とすと、剛直の先端が彼女に飲み込まれたところだった。
 その事実を視覚的に意識した瞬間、もう一度ぞくりと波が襲ってきた。身体の隅々まで襲う、津波のような快楽。だがそんなものは序の口に過ぎない。

「あっ……ぁ、あん、ぁ、は……っ」

 その口から心底心地よさげな吐息を吐きながら、ブレイズは腰を落としていく。ずぶぶ、と飲み込まれた部分が擦られていき、のけ反りそうなほどの快感が与えられる。おまけに、突き入れたものを彼女の無数の膣ヒダに愛撫されるのだからたまらない。
 だが、何よりドクターの興奮を誘うのは肉体的な感覚ではなく、ブレイズの表情だ。

「ん、んんっ、あっ……どく、たぁ……っ、はぁ、あっ……す、ご……」

 普段の凛々しさを一握りほど残しつつも、恍惚とした色に染めている。それは、ドクターが一度として見たことのない、彼女の女としての顔だった。
 そんな彼女の本能を写すように、膣肉がきゅうと窄まる。まるで最奥へと誘っているよう。
 そんな誘惑に抗えるほどの理性は、ドクターに残っていなかった。彼は両手をブレイズの尻へ添え、ひと思いに自らの腰へ押し付けた。

「ひゃあぁっ!? っ、あ、どく、たー、いきなりそんな……っ、あ、あぅ……っ」

 一番奥へ肉棒が突き入れられた瞬間、ブレイズの体が雷に打たれたように痙攣した。おまけに弓なりに身体を反らせて。
 だが彼女の顔に苦痛の色はない。目を見開いて、急激な快感に為す術もなく襲われているような顔。
 ややあってようやく波が引いてきたのか、ブレイズは焦点の定まらない目をドクターへ向けた。

「ドク、タぁ……」

 だが、その声はまだはしたなく惚けたままだった。口に出して気づいたのか、ブレイズは一瞬はっとしたような顔をした。そして、些か不機嫌そうな色をした顔で言った。

「もぉー、ドクターったら焦りすぎ。そんなんじゃ女の子に嫌われちゃうよ?」
「それはすまない。嫌いになったか?」

 悪びれもせずにドクターがそう返すと、ブレイズはまんざらでもなさそうに答えた。

「なるわけ、ないでしょ? ……ん」

 そのまま唇を塞がれる。口唇を重ねあって、啄んで、さらに深くへ。幾度と繰り返したことだから、もうその動きに戸惑いはなかった。
 くちゅくちゅと弾けるような水音を臆面もなく立てながら、お互いを愛し合う。それは、今から始まる秘め事に向けて頭の中をより淫らな気分で染めるような行為だった。

「っ、はぁ……」

 一通りそのキスを愉しんだ後、二人は唇を離した。過剰分泌された唾液がだらりとこぼれ出ている。その様すら、今の二人には興奮材料にしかならない。

「ドクター……腰、動かすね」

 はぁはぁと荒い吐息を漏らしながら、ブレイズが呟くように告げる。それが始まりだった。

「っ、ぁ……っ、あっ、ん……」

 ブレイズはドクターの背に手を回して抱きしめると、ゆっくりと腰を振り始めた。ぐぐ、と重々しい動きで尻を持ち上げた後、重力に任せて一気に落とす。
 ぬぷん、と濡れた感触とともにドクターの腰へ豊満な肉の感覚がぶつかる。それが何度も続く。その動き自体は緩慢で優しいものだが、与えられる快楽はドクターの想像以上だった。

「っ……あっ、んんっ……あっ、ドク、ター──っあ、気持ち、いい?」
「ああ……っ、はぁ……気持ち、いい──ブレイズ、君のが絡み、ついて……っ、く、すごくいい……っ」

 みっちりと柔肉が詰まったブレイズの膣内を、肉棒が抜き差しされる。行われているコトは至極単純なことなのに、たったそれだけで気持ちがよかった。
 彼女の膣内は、まるで幾つもの指や舌がうねっているよう。そんな、蠱惑的な蜜壺の中に敏感なペニスを挿入しているのだ。それがブレイズの荒い呼吸や淫らな腰使いで擦られ、のけ反りそうなほどの快楽が与えられる。

「んっ……んぁ、良かっ、た──ぁ、はっ、はっ、んぁ、あぅ……っ、ね、ドクター……キス、しよ……」

 惚けたような瞳でブレイズはそう言うと、ドクターの言葉を待つことなく唇を重ねてきた。ん、と声にならない音が漏れて、呼吸がブレイズのと絡まった。
 ブレイズはすぐに舌を突っ込んできて、そのままれろれろと舐め回す。小手先の技巧もなにもない、動物的な舌使いだった。
 それをドクターは受け止めながら、ブレイズの後頭部に片手を回して引き寄せた。より深くで絡まる熱い粘膜。まるで舌で交尾でもするかのように絡ませて愛し合う。

「ちゅ、ん……っ、どく、たー、んっ、んむぅ、は……っ、ん、ぁ、あぅ……っ、んちゅ……っ」

 そうして激しい接吻を交わしながらも、彼女の腰の動きには全く手抜きがない。ぐぷぷ、とカリの部分まで引き抜かれて、ずぷん、と飲み込まれる。それが何度も何度も。
 ぱん、と乾いた音を立てながらドクターに腰を振り下ろすと、白い尻肉が波打つ。抜き差しの速さはそれほどではないが、くい、と前後に腰をくねらせたりと、実に淫らだ。まるで、客を淫靡な腰使いで魅了するストリップダンサーのよう。

「っは……っ、あっ、んっ、ぁんっ、あ……気持ち、いっ……あっ、ふぁ……っ、あっ、これ……すごっ……ぁう、あっ、はぁ、んっ、どく、たぁ……っ」

 ブレイズも段々と深みにはまってきたのか、少しずつ腰の動きが速くなっていく。キスをしていた唇を離し、腰を振るのに夢中になっている様子だ。半開きになった唇からだらりとはしたなく涎がこぼれていた。
 しかし、その瞳はドクターをずっと見つめている。ぱん、ぱん、とリズミカルに腰を打ち付けながらも、その視線が他に向くことはない。
 ドクターの固いモノがブレイズの一番奥を突く度、彼女の口から甘い声が漏れる。時折舌足らずな声で「ドクター」と呼びながら。既にブレイズは、交尾の快感に溺れる一匹のメスになっていた。
 だがそれはドクターとて同じ。頭の中は快楽物質とブレイズへの情欲だけでぎちぎちだった。

「っく、ぶれ、いず……っ、ぅ、あっ……ブレイズ──君はすごく、綺麗だ……っ」
「んっ、あっ、ぁんっ……えっ、ど、どしたの──急に、んっ、あっ……んっ、あっ、アっ……」

 その言葉は自然とドクターの口から漏れていた。それほど、今のブレイズは魅力的だった。
 快楽に溶けた青い瞳に、滴る汗の雫。口の周りは幾度となく交わしたキスのせいで唾液塗れだが、それすら彼女を淫らに彩る飾りになっている。

「別に……っ、う、理由なんて、ない──は、っく、ただ、そう思っただけだっ、ぐっ、は、はぁっ……」
「なに、それ……っ、んっ、ぁ、アはっ……でも、嬉しい、よ……っんあっ、あっ、どく、たぁ……っ」

 困ったようにくすりとブレイズは笑った。だがどこか、赤い顔がさらにその色を増したように見えた。

「んっ、ん……っ、ねぇ、んっ、あっ、ドクター──ドクターも、ぁ、ぁんっ、動いてよ……はっ、ぁ、はぁっ、ん、きっと、きもちい、からっ……」

 ぎゅ、と抱きつかれて、耳元で囁かれる。その声色と荒い吐息が耳をくすぐってぶるりと震える。

「わかっ、た……っ、ぅく、こう、か……?」

 ブレイズの身体を抱き返しながら、下からずん、と突き上げてやる。その瞬間、耳元の彼女の口から甘ったるい声が漏れた。

「ふぁっ……! んっ、あっ、ぁ……っ、そう、それ……ぁ、すごっ……んっ、もっと、シて……っ、ドクターっ、あっ、アんっ、もっと気持ちよく、なろ……っ」

 陶酔するようなその言葉に導かれ、下から彼女を何度も突き上げる。ブレイズが腰を振り下ろすタイミングに合わせて、どちゅん、と。
 そうすると、きゅん、と締め付けられると同時に、ブレイズの一番奥の口がきゅぽ、と亀頭へ吸いついてくる。そのきつい膣内の中で竿も先端も擦られる快感で、奥のほうから白い欲望がぐつぐつと上ってくる。

「あっ、ぁんっ……! ドクター、っん、は、ぁ、アんっ……! んっ、あっ、あっ……もう出そうに、なってきた……?」

 中で膨らんだ感覚がわかったのか、ブレイズがそう口にする。

「ああ、っ、ブレイズ……っ、イきそう、だから……っ、ぐ、抜いて──っ」
「んっ、んんっ、あっ……! いい、からっ……あっ、アっ──ナカで、このまま……っ!」

 甘いブレイズの誘惑に反論しようとしたが、それを許さないとばかりに彼女は腰の動きをさらに激しくし始めた。ぱちゅん、ぱちゅん、と湿った淫らな音を響かせながら、彼女の柔らかい尻が何ども叩きつけられる。
 突き入れている陰茎はどろどろの肉穴で擦られ、強制的に快楽の塊を引き上げられる。そんな刺激に、ドクターの頭の中はびりびりと痺れて一つのことだけを考えてしまう。
 このまま一番奥へペニスをねじこんで、思い切り射精することを。だが一度でもそう考えてしまったのが決定的。
 睾丸で熟成された白濁液が、一気に尿道を駆け上ってくる。全身が震えるようなその快楽に、ドクターはもう抗おうなどと思えなかった。

「ブレイズっ──出る、イクっ……ブレイズっ!」
「んっ、あっ、あ、ぁアっ、わたし、も……っ、あっ、イっく──!」

 そして最後のその瞬間、二人は腰をぱん、と一番奥まで叩きつけた。その瞬間、耐え難い快楽の波が一気にブレイズとドクターを襲った。

「っあ……っ!」

 ぎゅう、と思い切り互いを抱きしめあって、二人は果てた。びくびくんっ、とはしたなく身体を震わせながら、弾けるような絶頂感に身を任せて。
 そのまま、限界まで奥へ突き入れたペニスの先端から、溜まっていたものが溢れ出す。どぶん、どぶん、と半固形になったドクターの精液が、ブレイズの子宮へ注ぎ込まれる。

「っあ、あっ……っ、ぁ、は……どく、たぁ、ぁ、あぅ……っ、す、ご……っ」

 震えるような呼吸を繰り返しながら、ブレイズはその絶頂に身を浸す。時折ぴくっ、と身体を跳ねさせて、自らに注がれる白濁をじっくりと感じているようだった。
 そんな彼女に甘えるように、ドクターは吐精を繰り返す。溜まりに溜まった情欲は、一度の波では終わらず、何度も何度も精液を吐き出してしまう。

「ブレ、イズ……っ、く、ぁ、あ……で、る……っ、まだ、っは……きもち、いい──」
「っん、ぁ、あ……すっご……い、ぁ、ん、はぁ……なか、いっぱい、でて……」

 ぎゅ、と切れそうな意識を繋ぎとめるように、互いをきつく抱きしめる。豊満で柔らかいブレイズの身体が全身に押し付けられて、どこか安心する。
 激しい性交で汗がべたつくが、むしろその一体感が心地いい。そして繋がっている下半身は、温かな快楽の海で溶け合っているようだった。

「っ、は、はぁ、は……ぁ」

 どれくらいそうやって抱き合っていたのか、気が付くともう精は止まっていた。ふわふわとした感覚と、全身に気怠さがあることに気が付く。
 ドクターの耳元には甘い吐息で呼吸を繰り返すブレイズを感じる。彼女も一緒に絶頂を迎えられたことが嬉しくもあったが、中に出してしまったことへの罪悪感でなんと声をかけていいかわからなかった。

「ドクター」

 不意にブレイズがそう呼びかける。熟練の前衛オペレーターだからか、乱れていた呼吸はほとんど元に戻っていた。
 抱きしめていた腕を緩めて彼女を向かい合う──。ことは叶わなかった。

「んっ……」

 唇を奪われ、そのままどさりと押し倒された。背中のベッドのふかふかな感触と、正面からのブレイズの熱に挟まれる。
 また先ほどのように激しく貪られるのかと思ったが、彼女は唇だけで甘く啄んできた。はむ、はむ、と雛鳥が餌を食むような仕草。それは、性交後の甘い余韻を共有するような感触だった。

「っは……」

 何度か軽い接吻を交わした後、ブレイズはゆっくりと口を離した。淡い口づけではあったが、漏れ出す吐息は先の交尾の熱をまだ持っていた。

「ドクター、このまま寝よっか」

 普段、はきはきと明快な声で喋るブレイズが、ドクターにやっと聞こえるくらいの声でそう告げる。その表情と声色は、子供をあやすような優しさに満たされていた。
 ドクターは、ああ、とだけ答えて彼女の体を抱いた。ブレイズはそんな彼に身も心も任せるように、体の力を抜いた。
 抱き合ったまま、繋がったまま、二人は眠りに落ちていく。窓から差し込む月明かりが、そんな二人を照らしていた。


「ブレイズさん、ハッチ開きます!」

 若いパイロットの声が狭い機体の中に響いた。
 重々しい音を立てて開かれるハッチを目の前にして、ブレイズは肩にかけた得物を持ち直した。開かれた場所から一気に空気が流れ込んできて、彼女の耳や髪をはたはたとなびかせる。
 眼前に広がるのは炎国の都市。上空百メートルから眺めるそれは、悪くないものだと感慨を抱かせる。
 しかし空は生憎の雨天で昼間だというのに薄暗い。ブレイズは「幸先悪いなぁ」と一人呟いた。

「あのー、ブレイズさん。パラシュートもなしに飛び降りるとかってただの噂なんですよね?」

 ブレイズの背後の操縦席からそんな声が聞こえてきた。

「ん? それはどうだろうね。火の無い所に煙は立たないっていうけど」

 彼女は流し目でコクピットを向きながら、冗談っぽくそう返した。しかしそれは冗談などではないことは明らかだ。
 彼女が身に着けているのはチェーンソーを始めとする武装のみ。パラシュートなどどこにもない。

「よかったら今度一緒にやってみる? 二人くらいだったら余裕で受け止められるよ」
「い、いや……遠慮しておきます」

 逃げるように操縦に集中し始めたパイロットに苦笑を漏らしながら、ブレイズは通信チャネルを開いた。

「あー、あー、ドクター? こちらブレイズだよ。聞こえる?」
『ああ、聞こえている。到着したか?』

 インカムから聞こえてきたドクターの声に、ブレイズは僅かばかり頬を緩ませた。

「うん。目標地点の上空に到着。視界良好──とは言えないけど、いつでも行けるよ」
『了解した。こちらも準備はできている。行ってくれ、ブレイズ』

 ノイズが混じるドクターの声に淀みはない。昨日ブレイズの部屋で見せたような不安は微塵も感じられなかった。

「オーケー、それじゃ早速行くよ!」

 自らに気合を入れるように、ブレイズは吠えた。そして両脚に力を入れてハッチから飛び出そうとするその瞬間。

『ブレイズ、待て! 待ってくれ』

 彼の焦った様子の静止の声が聞こえてきて足を止めた。

「え、ちょっとちょっと何さ。今かっこよく飛び出してくところだったのに」
『すまない。一つ言い忘れていた』

 ドクターはそう前置きをすると、確かな声で続けた。

『必ず生きて帰ってきてくれ。これは命令だ』

 ブレイズは一瞬だけ呼吸が止まった。おそらく彼女自身にしかわからないほど一瞬。
 そして、すう、と大きく息を吸いなおしてから答えた。

「了解。ドクター」

 短い、ただそれだけの言葉。しかし、二人にとってはそれで十分だった。
 ブレイズはやや後ずさると、ハッチの先を見据えた。そして、ふう、と息を吐き出して一気に駆け出した。

「エリートオペレーター・ブレイズ、行きます!」