星空とラブホテル

ㅤ転校生は、美少女だった。

「美崎葵です」

ㅤ彼女の簡潔な自己紹介は、蒸し暑さとクラスメイトのざわめきにも負けない、凛とした声だった。少なくとも、あまり興味が無いとよそ見をしていた僕の視線をそこに向けさせるには十分なほど、耳障りのよさがあった。
ㅤそれは、夏休みが明けて新学期が始まった日だった。朝のホームルームで紹介された美少女に、水野高等学校の二年C組の教室はざわついていた。
ㅤ窓際の一番後ろの席に座っている僕からは、容易にその様子が見てとれた。

「なあ、あの転校生、超かわいくねえか」

ㅤずい、と僕の方へ身体を乗り出して、そう言ってきたのは、隣の席の大山君だ。

「うん、そうだね。なかなかの美人さんだ」

ㅤ適当な相づちを打ちながら、視線を隣へ移す。スポーツ刈りが特徴的な彼は、黒板の前に立つ転校生に熱心な視線を送っていた。
ㅤだが、それも当然。彼は惚れっぽい性格で、クラスでも有名な男だ。

「だよな!ㅤどうにかしてお近づきになりてえもんだよ」

ㅤそう言われ、改めて彼女を見てみる。スレンダーな体型に、肩まで伸ばした艶のあるストレートの黒髪と整った顔立ちは、歳よりも大人びた雰囲気を帯びている。
ㅤやや近寄り難い印象もあるが、確かに綺麗な女の子だ。隣で彼女の簡単な経歴を説明している小太りなウチの担任と比べると、よりそれが際立つ。
ㅤ色恋沙汰に興味の薄い僕でも、素直にそう感じた。

「よっしゃ、俺、頑張ってみるぜ!」

ㅤ手をぐっと握りながら、気合いの入った様子で彼は言った。こういう単純なところが彼の長所なんだろうが、その想いが誰かに届いたという話は全くもって聞いたことがない。多分、今回も同じだ。
ㅤ一週間後、教室には友人達に慰められている大山君の姿があった。


ㅤ美崎葵の親は人殺しだ。だから前の土地に住めなくなって、ここに転校してきた。
ㅤそんな噂が流れ始めたのは、九月の終わり頃だった。その話を聞いたのは、噂がクラスに広まり始めた辺りだったと思う。朝、登校してきた僕に、大山君が声をひそめて話しかけてきたのだ。

「へえ、人殺し。だからみんな、美崎さんの方を気にしながらひそひそ話をしてるんだね」

ㅤ目線だけ動かして、教室をざっと見渡す。教室のほぼ真ん中の席に座っている彼女は、クラスメイト達からよそよそしい視線を受けている。

「ああ。マジびっくりだよな。いやー、オッケーされなくてホント良かったぜ」

ㅤ以前美崎さんに振られた彼は、今はもう別の女子を追っかけているという話だ。

「どうして?ㅤ別に、親がどうだっていいじゃないか。彼女が人を殺したってわけじゃないだろう?」

「はあ?ㅤあのな、人殺しの娘と付き合ったりしたらロクなことねえだろ。こっちまでとばっちり食らいたくねえよ」

ㅤなに馬鹿なことを、とでも言いたげな表情で大山君はそう言った。
ㅤそして、さらに声をひそめて、彼はもう一つ付け加えた。

「それにな、子供ってのは親に似るもんだろ。あいつ自身だって、もしかしたらヤベー奴かもしれねえじゃん」

「……まあ、そうかもね」

ㅤこちらこそ、なに馬鹿なことを、と言いたかったがやめた。次の席替えまで、彼とギスギスしたままなのは面倒だ。
ㅤだから、その代わりに窓の方を向いて、

「馬鹿みたいだ、みんな」

ㅤ柄にもなく、そんなことを呟いた。
ㅤ別に、特別彼女の味方をしたいわけじゃない。友達でもないし、そもそもまともに話したことすらない。
ㅤただ、まるで彼女を悪者のように見るクラスメイト達が気に入らなかった。


ㅤ親が人殺し。その事実は、彼女の周囲から人影を消していった。
ㅤ元々、彼女はあまり評判が良くなかった。特に女子から。彼女は話しかけられても、簡単な受け答えをして話を打ち切ってしまう。
ㅤだから、「性格悪い」とか「気取ってる」みたいな陰口もちらほらあったのだ。
ㅤその上こんな噂までたてば、それがエスカレートするのも当然だった。そのせいか、彼女に言い寄っていた男子たちまで、彼女に近寄らなくなった。
ㅤそうして、次第に彼女はクラスで孤立していった。


ㅤそんな日が続いた、十月始めの晴れた金曜日のこと。その日の夜は流星群が見られるらしい、そんなニュースを小耳に挟んだ。
ㅤ最近はすっかりしてなかったが、僕の趣味は天体観測だ。だから久し振りに星を見ようと、夜八時頃に父親と二人で住んでいる、築二十年だというアパートを出た。
ㅤふと街の方を見る。ここは街の外れにある山の中腹に位置している。だから、ここからは学校や、隣町の都会の明かりまでがよく見えた。
ㅤ父さんは今日も残業だろうか。そんなことを考えながら、僕はアパートを出て、山頂に続く車道を登り始めた。


ㅤアパートから少し登った辺りに、小さな脇道が見える。そこを進むと、やや開けた場所がある。申し訳程度の街灯と、古い木造のベンチが置いてあるだけの粗末な場所だ。
ㅤだが、僕はここがなかなか気に入っていた。星がよく見えるし、ここを知っている人間は僕くらいしかいない。この街に越してきたのは一年半前の高校進学の時だが、それ以降、ここに来た僕以外の人を知らない。
ㅤしかし、その日は珍しく先客がいた。

「あら」

ㅤ僕の足音に気付いたのか、ベンチに座っていた彼女は、立ち上がってこちらに振り向いた。

「あれ、美崎さん……で、合ってる、かな」

「ええ、美崎よ。一ヶ月前に転校してきた、美崎葵」

ㅤ驚いた。ここに僕以外の誰かがいるという時点でそうだが、転校生の彼女がいるとは予想外だ。しかも制服姿で。

「じゃ、私帰るわ」

ㅤしかし、何を思ったのか、彼女はそんなことを言った。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。どうしてそうなるのさ」

「どうしてって、私がいると邪魔でしょう?ㅤだからよ」

「別に邪魔なんてことはない。僕は流星群を見に来ただけだ。君だってそうじゃないのか」

「まあ、確かにそうだけれど。人殺しの娘と一緒になんて、イヤじゃない?」

ㅤ自虐するように、というよりは、当たり前のように彼女は言う。

「僕はそういうこと気にするのは好きじゃないんだ。囃し立てるクラスの連中の方がおかしい」

ㅤ美崎さんは少し驚いたような顔をした。それから、「へぇ」と興味深そうに僕を見た。
ㅤそれは、彼女の澄まし顔しか見たことのない僕には新鮮だった。

「変わった人もいたものね。普通、みんな私のこと煙たがるのに」

ㅤ愉しそうにそう言うと、彼女は再びベンチに座った。しかし今度は少し端に寄り、隣にスペースを開けて。
ㅤ美崎さんはそこをぽんぽん、と叩いて言った。

「それなら、どうぞ。本田くん」

「知ってるんだ、僕の名前」

ㅤ彼女の言葉に甘えて、そこに座りながら言った。

「ええ、クラス全員の名前は覚えたもの。もっとも、それが役に立ったのは今くらいのものだけれど」

ㅤ自嘲気味な笑いをこぼしながら彼女は答えた。表情は笑っているが、どこか寂しげな色も感じられる。

「友達、作らないの?ㅤ同じクラスじゃなくてもさ、探せばいくらでもいるんじゃないかな」

「そう上手くはいかないわ。どうせ、私の父のことを知って離れていくもの」

ㅤ星空を見上げながら言うその目には、諦観の色があった。

「そうか。こういうこと言うのは失礼だけど、人を信用してないんだな、美崎さんは」

ㅤそれにならって、僕も空を見上げた。流星群が見えるという時間には、まだ幾分か余裕がある。

「ええ。勝手に信用して、裏切られたらまた勝手に落ち込んで、って疲れるもの。だったら最初から他人なんて信じない方がいい。前と、その前の学校でイヤという程それを知ったわ」

ㅤ彼女が背もたれに寄りかかって、軋んだ音がなる。
ㅤ前と、その前の学校という言葉には、それなりの重みがあった。二度の転校の間に何があったのか、僕には到底推し量ることなどできない。それでも、苦労してきたのだということは、彼女の声と表情が伝えていた。

「そんなこと、僕に話していいのか?ㅤ僕だって君にとっては、信用に足らない他人なのに」

「構わないわ。仮に、この話をあなたがクラスメイトに言いふらしたとしても、私が困るようなことはないのだし」

ㅤ僕の問いに、彼女は即答した。割り切った考え方だ、僕はそう思った。

「そんなこと、僕はしない」

「……そうね。あなた、そういうこと気にしないのよね。ほんと、本田くんって変わってるわ」

「ひどいな。変わってるのはみんなの方だ」

「いいえ」

ㅤ美崎さんは視線を不意に僕へと向けた。

「普通、みんなのようになるものよ。悪いものと自分を比較して、優越感に浸りたいからって。そうやって他人を貶して、周りの人間もあぶれないようにそれに便乗して。みんな、そうだったわ」

ㅤ淡々と言っていた彼女だったが、最後だけはどこか物悲しそうな口調だった。

「そうか……確かに、そういうもんだ」

ㅤ彼女の言葉を噛み締めるように、そう呟いた。

「あら、同情かしら?ㅤだったら結構よ」

「そんなんじゃない。僕も、似たようなことを思った経験があるんだ。あまりいい思い出では、ないけれど」

ㅤ彼女はそれに、わずかに興味を持ったような顔をした。

「なら、それを聞かせてくれないかしら。別に面白い話じゃなくてもいいわ。その時はつまらない話ね、って笑ってあげるから」

ㅤ彼女はそう言って、制服のポケットから缶コーヒーを取り出した。しかし、それをすぐには開けずに、両手を暖めるようにぎゅっとそれを握った。
ㅤ制服姿で、手袋もしていない彼女に、今の気温は寒いはずだ。コートでも持ってくれば良かったと、少し後悔した。

「話すのは構わないけどさ、なんか意外だな。美崎さん、誰かとこうやって話してるの、見たことないから」

ㅤ美崎さんは一瞬、はっとした顔を見せた。しかし、それを隠すように、彼女は手に持った缶コーヒーのプルトップを引いた。

「そうね」

ㅤコーヒーで軽く唇を湿らせながら、美崎さんはどこか遠くを見ながら続ける。

「あなたのことも、他の人と同じで信用はしないけれどね。それでも、私にみんなのような目を向けない人は、母親以外で初めてだから、かもしれないわね。たとえ、あなたのその目が嘘だとしても」

ㅤ嘘なわけない、という言葉は飲み込んだ。そんなことを言っても、彼女にとっては気休めにもならない。

「さ、そういうわけだから、聞かせてちょうだい。あなたの話」

「あ、うん、わかった」

ㅤどこから話すか少し思案して、「中学三年生の頃の話なんだけどさ」と前置きをしてから、彼女に語り始めた。


ㅤ母親が交通事故で亡くなった。なんでも、仕事の帰りに飲酒運転の車にひかれたという話だった。でも、それ自体はもう吹っ切れた。当時はもちろん悲しんだが、それは時間が解決してくれた。
ㅤしかし、問題は学校に再び登校した日だった。クラスのみんなは当然僕の母親のことは知っていたから、色々と心配してくれたのだ。

「あら、良いクラスメイトじゃない。こっちのみんなとは大違いね」

ㅤそこまで話して、美崎さんはそう皮肉った。

「うん。最初はそう思った。みんな、なんて優しいんだろう、って。無邪気にそう思ったんだ」

ㅤでも、それは本当に最初だけだった。次の瞬間にはすぐに気付いてしまった。
ㅤみんな、この中の誰一人として、僕を本当に心配してる人はいない。
ㅤそれに気付いたのは、葬儀で会った親戚の目と、クラスメイトの目が僅かに違ったからだ。同級生達の目には、愛想笑いを浮かべた時のような、嘘臭さがあった。

「……そう。じゃあ、みんなは何を考えて、あなたを心配したの?」

「さっき君が言ったことと同じさ。みんな、優越感に浸りたかっただけだ」

ㅤ結局、みんながしたかったのは、僕を心配することではない。そうすることで自分を良く見せることだったのだ。
ㅤそれに気付いてから、僕はしばらく人を信じられなくなった。

「そうなの。あなた、人間不信なのね。あまりそうは見えないわ」

「それを君が言うのか」

ㅤ僕は思わず、少し笑ってしまった。
ㅤすると美崎さんは、むっとした様子で答えた。

「どうして笑うのかしら。私、おかしなことを言ったつもりはないわ」

「いや、おかしい訳じゃないけどさ。美崎さんだって人間不信だろうに」

「まあ、そうだけれど。だからって笑うことないじゃない」

「ははは、気を悪くしたなら謝るよ。ごめん」

ㅤ彼女は少し納得のいかない顔をしながらも、「まあ、いいわ」と言った。
ㅤそして僅かな間、互いに無言になる。それで、なんとなく星空を見上げた。流星群の気配は、まだない。それどころか、星を隠す影がちらほらと見え始めた。

「ねえ、本田くん」

ㅤふと、横にいる美崎さんが呟いた。

「ん、なんだい?」

ㅤ視線を隣に移す。すると彼女は、残り少なくなった缶コーヒーをちゃぷちゃぷと揺らしながら、ぽつりと言った。

「あなたは、お母さんの件の加害者のことをどう思ってるの?」

「加害者を?ㅤクラスメイトじゃなくて?」

「そうよ」

ㅤ彼女は、先ほどとは若干違う声のトーンで言った。無感情ともとれるが、聞きようによっては、どこか温かみも感じられるような声だ。

「別に今はどうとも思ってないよ。恨んだりしたところで、母さんが帰ってくるわけでも、喜ぶわけでもないんだ」

「そう。……まあ、そうね。こんなこと、聞くまでもなかったかもしれないわ」

ㅤ僕はその言葉の意味を、いまいちわかりかねた。でも、彼女に聞くのもなんだか気まずくて、黙ったままにした。
ㅤそうして、再び沈黙。そのうち、美崎さんの缶が空になって、それが脇に置かれた音がした。そして、それとほぼ同時に、少し強い風が僕らに吹いた。

「ついてないわね」

「え?」

ㅤ美崎さんの方を見ると、「ほら」と空の方を指した。

「そうだね。確かに、ついてないな」

ㅤ視線を上にやると、雲が綺麗な星を隠してしまっていた。月明かりがかろうじて見える程度で、流星群なんて見れたものじゃない。

「残念ね。流星群って、そうそう見られるものではないのに」

「うん。残念だ。それに、初めて誰かと一緒に星を見られる機会だったから、なおさら」

ㅤ言ったあとに、少し照れくさいことに気付いた。でも、ちらりと美崎さん顔を見ると、特にどうとも思っていない様子だった。

「帰ろうか」

ㅤ特にすることも無くなって、そう呟く。このままここにいても、雲は晴れそうには見えなかった。

「待って」

ㅤしかし、立ち上がろうとする僕とは反対に、美崎さんは座ったままで僕を引き止めた。

「なに?ㅤ美崎さん」

「あなた、童貞?」

「はあっ?」

ㅤ全く関係ない方向の質問に、思わずおかしな声をあげてしまった。
ㅤ美崎さんは、そんな僕の顔をなめ回すように見てきた。

「ああ、童貞なのね」

「ちょっと、僕、何も言ってないんだけど」

「その反応を見ればわかるわよ。もしかして違ったかしら?」

「いや、間違ってはいないけどさ」

ㅤ若干小馬鹿にされたような言い方が少し癪だった。癪ではあったが、否定する理由もないから、そう言うしかない。

「それで、何でそんなこと聞いたの」

「星空が見えなくなったからよ」

「はあ……?」

ㅤいまいち、先程からの美崎さんの意図が読めない。僕からすれば、支離滅裂ともとれる。

「あ……と。ごめんなさい。言葉が足りないわね。失礼したわ」

ㅤ彼女は額を押さえながら目をつむって、少し考える素振りをした。幾ばくかすると、目を開けて厚い雲で隠れた空を見ながら言った。

「私ね。友達とか、恋人とか、一人もいないのよ」

ㅤそれでも、やはり彼女の言葉は僕の質問の答えにはなっていない。それについて何か言おうとしたが、さっと向けられた視線に制された。
ㅤ最後まで聞いて。そんな風に言われた気がした。

「だから、今日みたいに愚痴を言ったりとかも、出来ない」

ㅤ平坦な、感情を押し殺したような声だ。だけど、その中には若干の物悲しさが含まれていた。

「気にしないようにしているけど、学校ってストレスが溜まるものだから、そんな風にして発散したいって、たまに思うの。でも、話ができる人はいない。あちらから逃げていってしまうもの」

「そうか。でも、お母さんがいるじゃないか」

「母に心配はかけたくないわ。女手一人で私を学校に行かせてるんだもの。余計な苦労をかける訳にはいかない」

ㅤ僕は何も言えなかった。「そうだね」と言えるほど彼女を理解してはいないし、「偉いな」と言えるほど僕は大人じゃない。
ㅤ美崎さんが背負っているものは、それほど重いものなんだ。

「だから、今日ここに来たの。綺麗な星空を見て、たくさんの流れ星に願えば、少しは気持ちが晴れるのかもしれないって」

ㅤ美崎さんはそう言って、月明かりすら見えない曇天の夜空に目を細めた。星を隠した雲を恨むように。あるいは、上手くいかないものだ、と諦めたように。

「なんだか言葉にしてみたら、私って結構ロマンチストかもしれないわ。ちょっと滑稽ね」

「そんなことはないさ。綺麗なものを見て心を晴らすって、いいことだと、僕は思うよ。僕だって、君と似た理由でここにいるんだから」

「へえ、どんな?」

「うんと、そうだな。なんて言えばいいんだろ」

ㅤいざ聞かれると、答えに窮してしまう。今まで、こういうことは父さんにすら話したことがなかった。

「星は嘘をつかないだろう。クラスメイトと違ってさ。僕、中学の件から嘘が嫌いでね。そういうのを見て疲れると、ここに来るんだ」

ㅤ級友達は嘘をつく。毎日、嫌われないように、よく見てもらえるようにと。僕はそれが嫌いだった。
ㅤでも、星はそうじゃない。決まった季節、決まった時間に顔を上げれば、そこには決まった星が、星座が見える。僕はそれが好きだった。

「……なんか、僕もロマンチストみたいだ。無駄な話を聞かせちゃったね」

「そうね。でも、慰めようとしてくれたのは嬉しかったわ。ありがと」

ㅤそこで美崎さんは、控えめに、だけれど確かに僕に微笑んだ。薄い街灯に照らされたそれを見て、僕は彼女の素顔を初めて見た気がした。
ㅤそれのせいで、思わず目をそらした。

「同情はいらないって、さっき言ったじゃないか」

「ろくに私のことを知りもしないのに同情されるのが嫌いなだけよ。でも、あなたは違うわ」

ㅤ僕とて、彼女のことを知っている訳ではない。でも、彼女の気持ちは、それとなく理解することはできた。

「だから私、さっきああいう質問をしたのよ」

「ああいう質問って……ああ、あれね。童貞がどうのっていう」

ㅤそういえば、まだその質問の意図を聞いていなかった。

「そ。流星群の他に、気晴らしできることはないかと思ったの」

「つまり?」

「本田くん、私とセックスしない?」

ㅤ今度は、声すら出なかった。答えが予想の枠からあまりに外れていたから、なんて反応したらいいかわからなかったのだ。

「……美崎さん、僕をからかってるのかい」

ㅤそれでもかろうじて、そう声を出すことはできた。

「違うわ。さっき嘘が嫌いって言ってたあなたに、嘘を言う訳ないじゃない」

「じゃあ、なんだ、なにかの比喩とかかな」

「違うわよ。からかってないって言ってるでしょ」

ㅤ美崎さんは、少し強い口調になった。ちょっと怒らせてしまったかもしれない。
ㅤしかし、彼女のその態度と、真面目な目を見て、美崎さんが嘘をついているようには見えなかった。

「とりあえず、冗談を言ってる訳じゃないのはわかったよ。でも、なんで僕とそういうことしたいんだよ」

「さっき言ったじゃない。気晴らしよ、気晴らし」

ㅤ美崎さんは、なんでもないことのように言う。とてもセックスの話をしているようには思えないくらいだ。どちらかというと、ストレス発散にバッティングセンターに行こう、みたいなノリに近い。

「気晴らしって言ったって、そういうことは軽率にするもんじゃないだろう」

「なぜかしら。みんな大人になったらするものでしょう。それに、私達の同級生だって幾人かはしているんじゃないの。別に、私とあなたがしても咎められることはないわ」

「そういうことを言ってるんじゃない。その、そういうのは、好きな人とするものじゃないのか」

ㅤそこで美崎さんは、下らないとばかりに失笑した。

「あなた、それ本気で言ってるのかしら。人間不信のあなたが、同じく人間不信の私に言っても、説得力もなにもあったものじゃないわ」

「今はそうでも、いつか後悔するってこともあるかもしれない。それに人間不信なんだったら、信用できない僕に体を許すってのはどうなのさ」

ㅤ言葉の代わりに、一つため息が返ってきた。

「あなた、けっこう綺麗事を言うのね。心配してくれているのはわかるし、ありがたいけど、私はそれで考えが変わるほど純粋じゃないわ」

ㅤ美崎さんは、クラスメイトの話をしている時のような、達観した目で言った。

「それにね、私、あなたのことはそこそこ信用しているのよ」

「さっきは信用してないって言ってたじゃないか」

「それはちょっと前までの話。あなたと話しているうちに、その認識を改めただけ。もちろん、完全に信用しきった訳ではないけれどね」

ㅤさっきとは僅かに違う、親しみの込められた声。表情も、どこか柔和な印象だ。
ㅤそう言ってもらえるのは、素直に嬉しかった。嬉しくはあったが、この状況では無邪気に喜べなかった。

「ね。だから、いいじゃない。一度くらい。男の子って、セックスしたいものなんでしょう?ㅤそれとも、私みたいにおっぱいの小さい女の子はイヤかしら」

「そうじゃないけどさ」

ㅤずい、と美崎さんは体を乗り出してきた。それに、たじろいて、思わず視線を外す。
ㅤ本音を言ってしまうのなら、してみたい。色恋に興味が薄いとはいえ、それなりにそちら方面への関心は持っている。

「わかった。いいよ。君だったら、いい」

ㅤだから、頷いた。らしくない綺麗事は、ことごとく美崎さんに沈められた。だったら、僕に断る理由はもうなかった。

「ん。ありがと。それじゃ、行きましょ」

ㅤ彼女はさっさと立ち上がって、そう言った。

「どこに?」

「ラブホテルに決まってるでしょ。確か、この山をもっと登っていった先にあったわよね」

ㅤうん、とひとつ頷く。
ㅤ彼女が言うのは山の頂上付近に建っている、城のような外見のホテルだ。確か名前は、「ホテル・ローズ」とかいったと思う。派手なネオンの文字が、街からでもよく見えるから覚えている。

「ほら、あなたも立って。早く行きましょう」

ㅤ急かされて、慌てて僕も立ち上がる。

「そんな急がなくても」

「さっきから寒いのを我慢してるのよ。上着を持ってくるんだったわ」

ㅤ美崎さんは、片手で腕を擦りながら、僕に背を向けて歩き出した。僕もそれに急いで続く。
ㅤしかし、美崎さんは不意に立ち止まって「それにね」と付け足した。

「私、今ちょっとだけ濡れてるのよ」


ㅤシャワーの音がする。橙色の明かりが照らす、ラブホテルの一室に響くのは、その音しかない。僕はそれを、二人には十分過ぎるくらいの広いベッドに腰掛けながら聞いていた。
ㅤその水音は浴室から。中にいるのは、もちろん美崎さんだ。

「あと何分かで、することになるんだ。美崎さんと」

ㅤそこに目線をやりながら、ひとつ呟いた。
ㅤでも、それだけで気恥ずかしくなってしまい、すぐに視線を膝の上に戻した。
ㅤその時ちょうど、シャワーが止まった。そして脱衣場から、ごそごそと別の音が始まる。

「本田くん」

ㅤしばらくして、美崎さんの、こもった声が聞こえた。返事をすると、「お願いがあるのだけれど」と言われた。

「いいよ。なに?」

「電気、消して」

ㅤ静かな声だった。ここからの少しの時間を、さっきまでとは異なる空気にするような。
ㅤそれにしたがって、枕元のスイッチを押した。部屋が暗闇に落ちる。今までも十分静かだったのに、より一層それが増したように思えた。

「ありがと。助かるわ」

ㅤその声と同時に、脱衣場のドアがあく音。ひたひたと足音が近づいてくる。それが隣まで来ると、すとん、とベッドに座る気配がした。
ㅤ僕はずっと前を向いていた。暗闇で見えないとわかっていても、美崎さんに向く度胸はなかった。

「本田くん。緊張、してる?」

「そりゃ、もちろん。緊張しない方がおかしいよ。こういうこと、初めてなんだから」

ㅤ息を吐く音がした。ため息ではなく、安堵の色が感じられた。

「良かった。緊張してるの、私だけじゃなくて」

ㅤほんの僅かだが、美崎さんの声が震えていた。耳をすまさなければわからないくらい、僅かな揺らぎだ。

「美崎さんでも、緊張することあるんだ。なんか意外だ」

「そうよ。人間だもの」

ㅤ僕たちの間に、張り詰めた空気が流れる。お互いの呼吸音がやけによく聞こえて、どくんどくんと跳ねる心臓はうるさくてたまらない。

「私ね、自分からあんな風に誘ったけど、一応処女なの。だから、初体験に対する不安だって、それなりにあるわ」

「だったら、今からでもやめるかい。僕は、美崎さんの意思は無視したくない」

「優しいのね。でも、ホテル代がもったいないわ。それに、ここでやめても、お互いに欲求不満で帰ることになってしまうし、いいことなんてない」

ㅤ段々と暗闇に目が慣れてきていた。しかしそれとは反対に、美崎さんの本心は不鮮明なままだ。
ㅤ彼女の感じている不安がどれほどのものなのか。せめてそれだけは知りたくて、僕は美崎さんの顔を見た。
ㅤでも、それはよくない選択だった。

「み、美崎さん、服は、どうしたんだよ」

ㅤ思わず出した声が上ずる。着てるだろうと当然のように決めつけていたものを、美崎さんは何も身に付けていなかった。

「全部脱衣場よ。どうせ脱ぐんだもの。着ていても邪魔なだけよ。……もしかして、自分で脱がせたかったのかしら」

「そういうことじゃない。その、いきなり裸なんて見たら、びっくりするだろう」

ㅤまだ十分に暗闇に慣れていないのが、せめてもの救いだった。すぐに目を反らしたのもあるが、それだけでもかなりの刺激だった。
ㅤ整っていて綺麗な体のラインとか、みずみずしい肌の感じとかまでもが、はっきりと見えてしまっていた。

「あら、ごめんなさい。じゃあ、あなたも脱いだら?」

「ど、どうしてそうなるんだよ」

「そうすれば公平でしょう」

ㅤ美崎さんの言葉は、微妙にずれている気がする。しかし、そう思って渋っていると、美崎さんは苛立ちの入った声で言った。

「もう、じゃあ正直に言うわ。……その、見たいのよ」

「み、見たいってなにを」

「あなたの身体。直接見て、触れてみたい。ねえ、お願い」

ㅤそれまでとは全く色の違う、甘い声だった。転校初日に聞いた、あの凛とした声とは正反対のものだ。
ㅤそれで、決定的に空気が変わった。だから、素直に美崎さんに従って、身に付けていたものを脱いだ。バスローブも、下着も、全部。
ㅤそうして、二人でベッドの上に座った。裸の男女が向かい合っている。それだけでどうにかなりそうなのに、嫌でも目に入る美崎さんの肢体が、どんどん頭をおかしくする。
ㅤ見ていれば恥ずかしい。でも、初めて見る女の子の身体に、僕の視線は釘付けだった。
ㅤ学校で、遠くから見ていた時からわかっていた、引き締まった体型。身長もそこそこあるから、なおさらだ。それに、美崎さん自身は小さいと言っていたが、胸のふくらみも年相応にある。小さくなんてないし、形だって綺麗だ。

「触って……いい、かしら」

ㅤらしくない、たどたどしい声。美崎さんの緊張がひしひしと伝わってくる。

「ああ、いい、よ」

ㅤ細い片腕が、ゆっくりと僕に伸ばされる。やがて指先が僕の心臓の辺りへ触れた。そして、柔らかい手のひらと密着させられる。馬鹿馬鹿しいくらいに鼓動が速まって、美崎さんに心を弄ばれているみたいだ。

「けっこう、しっかりしてるのね。あなたの身体」

「そう、かな。普通だと思うんだけど」

「筋肉が特別ある訳ではないけど、引き締まってる。触れてて心地いいわ」

ㅤするり、と優しく撫でられる。背筋がぞくりとする。感覚を直接撫でられたみたいだ。
ㅤ声は我慢したが、身体は反応してしまった。それくらい、美崎さんの手が気持ち良かった。
ㅤでも、美崎さんはそんな僕には構わなかった。僕の反応なんかより、身体に触れることに集中している。ちらりと顔を盗み見ると、明らかな興奮の色が見て取れた。
ㅤ抑えてはいるみたいだが、吐く息が荒い。そして、二つの目には、酔ったような妖しさがあった。

「み、美崎さん、その、そろそろ」

「あ……ご、ごめんなさい。没頭してしまったみたい」

ㅤ本当は、もっと触っていて欲しかった。でも、あれ以上されたら、理性が危ない。美崎さんに乱暴なことをしてしまうのは嫌だ。

「えと、なにから始めればいいかしら」

「え?ㅤなにからって……」

「その、色々あるじゃない」

「色々って、えっと、前戯、とか?」

「そう、それ」

ㅤお互いに緊張のせいで、会話に張りがない。口調もおぼろげだ。

「ねえ、本田くんはどうしたい?」

「ええっ。僕に聞かれても、困る。そっちの知識は疎いんだ」

「できれば、あなたのしたいようにして欲しいの。こうすることになったのは私のわがままだから」

ㅤぎこちない口調の中には、真剣さがあった。

「だから、あなたの希望を言って欲しいわ。大抵のことはできるように頑張る」

ㅤ少し驚いた。美崎さんが、ここまで気遣ってくれる人だとは思っていなかった。学校ではもちろん、あの場所での会話でも、こんな面は見せなかったから。

「じゃあ、美崎さんが嫌なら断ってもらっていいんだけどさ。……その、最初だから、キスがしたい」

ㅤ美崎さんは、驚いた顔をした。

「本田くん、そんなのでいいの?ㅤもっと、過激なのでもいいのよ」

「そんなの、って。僕としては結構なものを選んだつもりなんだけどな。美崎さんこそ、いいのか。ファーストキスとかだったりするなら、別に僕に合わせなくてもいいんだ」

「今さらそんなことで躊躇ったりしないわ。処女あげようとしてるのに、ファーストキスにこだわったり、馬鹿馬鹿しいじゃない」

ㅤ呆れたような口調で、美崎さんは言った。しかし、次の言葉は、さっきとは正反対の優しい声だった。

「それに少なくとも今は、私、あなた以外とセックスするつもりないわ。これからもね。だから唇だって、最初からあなたにあげるつもりよ」

ㅤ何か言おうとした僕の意思は、その言葉にかき消されてしまった。それくらい、今の言葉には衝撃があった。

「……わかった。じゃあ、しよう。キス」

「ええ」

ㅤどちらからともなく、にじりよる。顔を近づけて、その頬に片手を添える。そうして、お互いに相手の顔を引き寄せ合った。

「ね。目、閉じて。恥ずかしいわ」

「僕だって同じだ。美崎さんこそ」

ㅤ息がかかるくらいの距離。ささやくように言葉を交わす。緊張と、不安とが混ざって、声がほんの少し揺らいでいた。

「じゃあ、一緒に閉じましょう」

「そうだね。それがいい」

ㅤ二人ほぼ同時に、まぶたをそっと落とす。そして、頬に添えた手と、僅かな気配を頼りに、唇を近づけた。

「ん……」

ㅤそうして、口付けた。どちらのものか、くぐもった声が漏れる。
ㅤ接触はほんの僅か。口付けという名の通り、ただ唇と唇をくっ付けただけだ。それ以上深くするだけの度胸は、お互いになかった。
ㅤ触れている美崎さんの唇は、同じ人間なのかと疑うほど柔らかかった。そして、その柔らかさとは反対に、唇は固い力が入っていて、震えていた。
ㅤそれは緊張なのか、それとも怯えなのか、不安になって唇を離した。

「美崎さん、唇、震えてる」

「あなたもよ、本田くん」

ㅤ口付けていたのはほんの数秒なのに、呼吸が荒い。こぼれる言葉も、舌足らずだ。

「ね。もう一回、しましょう」

「うん。一回じゃ、足りない」

ㅤ再び目を閉じて、唇を触れ合わせた。震えはお互いに残ったまま。でも、さっきより接触は深い。触れるだけから、重ね合わせるような接吻へ。
ㅤ余裕が無かったせいでさっきは気づかなかった、美崎さんの香りに包まれた。ふわり、と柔らかな、僕の知らない、女の子のにおい。
ㅤまるで、アルコールだ。あるいは、麻薬の類。その感覚を浴びるだけで、その行為に没頭してしまう。
ㅤそのせいか、ほぼ同時に、僕らは頬に添えていた片手を首の後ろへ回した。そうして、接吻はさらに深さを増し、生じる快感まで大きくなる。

「ん……む……」

ㅤふと、美崎さんは重ねるだけでなく、啄むように唇に触れてきた。それは、僕の張り詰めた力をほぐすような、優しい接触だった。
ㅤだから、僕もそれに応えるために、同じ口付けを返した。そうやって、互いに唇を愛し合う。まるで、恋人みたいなキスだ。
ㅤでも、まだ互いに震えは残っていた。

「んは……っ。ね。本田くん」

「ん、なに、美崎さん」

ㅤ唇を離したのは、お互いにほぼ同時だった。

「震え、止まらないわね」

「うん。二人して、らしくもないな」

ㅤ「そうね」と美崎さんは、上気した顔を綻ばせた。薄暗い部屋の中、その顔だけがやけに映えていた。

「美崎さん」

「なに?」

「舌。入れていいかな」

ㅤ美崎さんは、「え」と言って、少し黙った。

「ご、ごめん。いいんだ。忘れていい」

「いえ、いいのよ。ただちょっと驚いただけ。あなたにしては積極的だから」

「そうだね。自分でもそう思う。でも、そうすれば、少しは緊張無くなるかなって。お互いにさ」

ㅤ嘘ではないが、全部が本当でもない。僕も段々、興奮してきていた。

「そうね。いいかもしれないわ」

ㅤ美崎さんは愉しげに言った。
ㅤそして、その口調のまま、もう一言を付け加えた。

「じゃあ、しましょう。あなたの舌で、私の口、犯して」

ㅤ蠱惑的な美崎さんの言葉。それは、脳を侵すほどの毒を孕んだ誘惑だった。
ㅤ再び口付ける。今度は遠慮なんかなかった。そしてその勢いのまま、自分の舌を美崎さんへと滑り込ませた。
ㅤ多少乱暴なその行為を、美崎さんは拒まずに優しく受け止めてくれた。むしろ、最初から待ってくれていた。僕の舌を誘うように、軽くその口を開けて。

「ん……っ、ん……」

ㅤ美崎さんの口内で、二枚の熱が触れ合う。ぬめった唾液同士が、体温という形で興奮を伝え合ってるみたいだ。
ㅤ加減をする理性なんかもうなくて、すぐに舌を絡めた。途端、身体を突き抜けるような快感が襲う。それに、美崎さんの方からも舌を触れ合わせてくれるから、なおさらだ。

「ふ……っ、ちゅ、ん……」

ㅤぴちゃり、ぴちゃり。口内で響くのは、僅かな水音。大した音でもないのに、鮮明に聞こえる。それは、まるで酸のようになって僕の、いや、二人の理性を溶かしていく。
ㅤいつの間にか、僕らは両腕で互いを抱きしめ合っていた。相手がもっと欲しいとばかりに、首の後ろに回した腕に力がこもる。
ㅤその、密着したまま行われるディープキスは、今まで感じたことのない快楽をもたらした。女の子の口の中を遠慮なく犯す背徳感と、触れ合う舌の快感。その全てが、欲望を加速させる。

「んっ……!」

ㅤそのまま、押し倒した。痛くしないようにだけ気を配って、舌を絡めたまま、ベッドへと。余計に密着する二つの身体が、美崎さんの柔らかい感触を伝えてくる。だから、唇も身体も、全部を美崎さんに押し付けた。
ㅤそれでも、美崎さんに嫌がる様子はなかった。変わらず、僕の首に両腕を回したまま、舌を絡め合わせてくれている。
ㅤそれに甘えるように、好きなように美崎さんの舌を味わった。開けた口を押し付けて、奥まで舌を絡めたり、舌先だけで焦らし合うような愛撫をしたり。二人で、心行くまで甘い秘め事を楽しんだ。

「はっ……あ……っ、はあっ、はあっ……」

ㅤさすがに息が切れたのか、美崎さんが唇を離した。荒い呼吸で、苦しそうに身体が揺れている。
ㅤそれで僕も少しだけ正気に戻った。

「ご、ごめん、美崎さん。やり過ぎた」

「は……ぁ、いい、のよ。気持ちいいわ。とっても。キスがこんないいものだなんて、思わなかった」

ㅤ乱れた髪と、紅潮した表情。それでも、あの凛とした美しさは残ったままだった。

「うん。それは、僕も同じだ。美崎さんの唇も、舌も、本当に心地良かった」

ㅤ言葉の代わりに、優しい微笑み。それだけで十分嬉しかった。

「ね。本田くん」

「なに?」

「欲しいわ。あなたの」

ㅤ一瞬、思考が止まる。でも、この状況に慣れてきていた頭は、なんとか平静を取り持った。

「もう、いいの」

「ええ。始めから濡れてるのに、あんなキスされて、我慢できるはずないじゃない。それに、私のお腹、熱いのが当たってるわ。あなただって、我慢してるでしょう」

ㅤその言葉で、びくん、と美崎さんの下腹部で反応してしまう。彼女は、「ほら」 と言わんばかりの表情を向けた。

「わかった。でも、ちょっと待って。ゴム、つけないとだろ」

ㅤ「そうね」と頷いたのを見てから、美崎さんの上から離れた。
ㅤベッドの片隅、畳んだバスローブを手に取る。そのポケットを探って、小さな袋を取り出した。この部屋に置いてあったものだ。
ㅤ多少四苦八苦しながらもなんとかゴムをつけて、美崎さんに振り向いた。

「み、美崎さん、その格好……」

ㅤ彼女は、四つん這いになって、僕の方に臀部を向けていた。

「あら、嫌かしら。他の体位の方がお好み?」

ㅤ顔だけこっちを見て、何ともなさげに美崎さんは言う。

「い、いや、そうじゃないけどさ……」

ㅤさすがに直視はできず、思わず目を反らした。

「美崎さん、初めてなんだろう。その体勢、辛くないのかい」

「多少はそうかもしれないわね。でも、この体位でしてみたいの。もちろん、あなたが良ければだけれど。どう?」

「いや、いいよ。君の意思を尊重する。それに、僕も後ろからっていうのは、なんていうか、興奮するし」

「ん、ありがと。あなた、見かけによらずサドなのかしら?」

ㅤ「そんなんじゃない」と苦笑と一緒に返事をしながら、膝立ちになる。そして、美崎さんの傍に寄り、両手でそっとその尻に触れてみた。

「んっ……」

ㅤほんのわずかにその身体が震えた。その緊張をほぐすように、軽くそこを撫でてみる。
ㅤ絹みたいだ。抱き合って肌に触れていた時から知っていたが、今触れているところは、より滑らかさに富んでいる。そして、ほんの少しだけ手に力を入れてみると、その弾力が手のひら全体に返ってくる。
ㅤ気付けば、僕はその行為に没頭していた。直視することの恥ずかしさも、どこか消えた。

「ほ、本田くんっ、その、くすぐったいわ」

ㅤ突然、美崎さんが声をあげた。

「ご、ごめん。気持ちいいから、つい」

ㅤ慌てて手を離しながら謝る。

「もう、すけべ。……ね、入れて。欲しいの、あなたの。お願い。もう、私……」

ㅤごくり、と思わず唾を飲み込んだ。それは、今までで聞いたことのない、扇情的な熱を帯びた、切ない声だった。

「わ、わかっ、た」

ㅤ自分のものを片手で掴み、美崎さんの陰部へと先端を触れさせた。
ㅤ濡れてる。ゴム越しでもわかるほどだ。ぬめった感触と共に、くちゅ、といやらしい音が響く。

「う、あっ……み、美崎さん?」

ㅤ唐突に、彼女の手が性器に触れた。その快感に、情けない声が漏れる。

「男の子って、膣口、初めはわからないんでしょう……?ㅤだから、あてがってあげる、わ……」

ㅤ美崎さんはそう言うと、勃起した性器を握って、探るように動かし始めた。それだけでも、どうにかしそうだった。他人の、しかも女の子のしなやかな指で触れられているのだから。
ㅤやがて、先端が入り口へと触れた。しかし、美崎さんは手を離さず、自らの尻をこちらへ軽く押し付けてきた。

「んっ、あ、ぁ……」

ㅤずぶ、と、亀頭が小さな膣口へ押し入る。びくっ、と、美崎さんの身体が大きく跳ねる。
ㅤそれと同時に、手が離された。

「ね。本田、くん。入れて……」

「わかっ、た。痛かったら、すぐ言って」

ㅤ余裕がないのか、美崎さんはこくりと小さく頷いた。はあ、はあ、と、吐く息は荒く、時折漏れる声には苦痛の色もあった。
ㅤその様子に、どうしようか迷ったが、僕もこのままは辛い。だから、本当にゆっくりと、挿入を始めた。

「ん、あ……き、てる……」

ㅤきつい膣の中を、割いていくように挿入する。少し奥へ進むだけでも、僕らのどちらかの身体が反応してしまう。それほどの刺激だった。
ㅤ僅かな動きだけで、膣内のひだが肉棒を攻めるように愛撫をする。それは、ゴム越しとは思えないほどに気持ちが良かった。

「は、ぁ、はあっ、ん、おおきい、わ……あなたの……」

ㅤこぼれるような美崎さんの声は、快感と苦痛が混ざっていた。そして、時折大きく身体を跳ねさせる。その度に痛くないかと聞くが、美崎さんはぶんぶんと首を横に振る。
ㅤ我慢してる。簡単にわかった。でも、何度心配しても平気に振る舞う彼女に、せめて早く全部挿入しようと思った。

「美崎、さん……全部、入った……」

「え、え……あなたの、奥に、きてる、わ……」

ㅤそうして、ようやっと最奥までたどり着いた。その時、少しだけ美崎さんの身体の力が抜けた。それで安堵して、ぼくもひとつ息を吐く。

「美崎さん、痛いの、我慢してたろう」

「ん……ほんの少しね。でも、もう大丈夫よ」

「嘘を言わないでくれ、美崎さん。身体、震えてる」

ㅤそれは、緊張ではなく、明らかに痛みを耐えているものだった。

「……そうね。嘘を言って悪かったわ。じゃあ、もう少し、このままでいて」

ㅤそうして、僕も脱力した。そのまま、互いに無言の状態で、身体が慣れるまで待つ。時折、痛みによる声や、甘い吐息が漏れたりしていた。
ㅤそうやって、およそ二分程度経った頃、美崎さんは言った。

「本田くん、もう平気よ。動いていいわ」

「無理、してないかい」

「大丈夫よ。今度はほんと」

ㅤその言葉通り、今度は嘘偽りない。僕は「わかった」と返事をして、両手を彼女の尻へ添えるように触れた。

「じゃあ、動くよ」

「ええ、来て。本田くん」

ㅤ恐る恐る、肉棒を引き抜いてから、再び奥へと挿入した。それだけで、ぞくぞくとした快感が身体を突き抜けた。
ㅤ初めて触れ、繋がった女の子の身体。それは、僕が想像していたよりもずっと甘い快感と熱を持ったものだった。
ㅤそれを深く味わうように、性器同士を擦り合わせる。両手で優しく尻を掴んで、何度も腰を動かす。それだけで、おかしくなりそうなほどの快楽だ。
ㅤ動きだってまだゆっくりなのに、こんな快感を味わうのは生まれて初めてだった。

「んっ……あ、く、ぅ……っ、あっ、ぅあ……」

ㅤふと、美崎さんの声に意識を向けた。あまりの快感に気を取られていたせいか、その声に含まれる苦痛の色に気付いていなかった。

「美崎、さん、ごめん。痛かった、かな……」

ㅤ思わず腰を止める。

「ん……平気、よ。痛いけど、それと同じくらい、気持ち、いい、から……」

ㅤ苦しげに息を漏らしながらも、美崎さんはこちらを振り向いて微笑んだ。
ㅤそれがどこかいとおしく感じて、その唇を奪った。身体を倒し、身体全体で密着しながら唇を合わせる。そのおかげか、美崎さんの強ばった身体が少し緩んだ。
ㅤそうして、互いに何度か啄み合った後、ゆっくりと唇を離した。

「ん……っ。どうしたの、急に」

「いや、なんでかな。何となく、君とキスしたかった」

ㅤ美崎さんは少し不思議そうな顔をした後、「そう」と優しく笑った。

「ねえ、また動いて。さっきよりも激しくしていいから」

「いや、そんなことしたら、美崎さん、痛いだろう」

「大丈夫よ。身体な方も慣れてきているもの。さっきのキスのおかげかしらね」

ㅤくすり、と美崎さんは愉しそうに笑う。

「じゃあ、また、始めるよ」

ㅤ密着させていた身体を起こし、再び彼女の尻を両手で包んだ。

「ええ、二人でもっと、気持ちよくなりましょう」

ㅤその言葉を合図に、僕はまた腰を動かし始めた。今度は、彼女の言葉通りに、少し速く。
ㅤ愛液で満たされた膣内は、その動きを妨げることはない。ぬちゅり、ぬちゅり、と、溶けるような感触だけを伝えてくる。それはあまりの快感となって、僕の感覚をおかしくする。

「あっ、ん、んあっ……は、あっ、ほんだ、くんっ……」

ㅤしかし、快楽はその感触だけではない。性器を奥へと突き入れる度にあげられる、美崎さんの甘い嬌声もだ。あの凛とした印象をすべて捨てて、淫らな色で染まった声をこぼしている。
ㅤそれが、背徳的な快楽をもたらす。他の誰も知らない、美崎さんの乱れた姿。そんな光景が目の前に広がっている事実が、どんどん情欲を燃え上がらせる。

「あっ、ひあっ、あ……っ!ㅤはげ、し……いっ……!」

ㅤずっ、ずっ、と、性交は段々と遠慮が無くなっていく。気遣うだけの余裕なんてもう消えて、ただ快楽が欲しい気持ちでいっぱいだ。
ㅤそれに、いつの間にか美崎さんの声からは苦痛が消えていた。ただ、気持ちよさそうな声だけが、熱く、激しくその口から漏れている。
ㅤそれが嬉しくて、勝手に腰の動きを速めてしまう。もう、自分の意思でそれを止めることなんてできない。

「はあっ……あっ、あ、んっ、あ、いい、いい、わ……!ㅤほんだくん、もっ、と……っ、もっと、犯して……っ!」

ㅤ互いの理性は、もうどろどろに溶けていた。二人で好きなように腰を動かして、快楽を貪り合う。
ㅤぱん、ぱん、と、乾いた音が部屋に響いて、激しい性交にベッドが揺れる。一回突くだけで、無数のひだが絡み付いてきて、まるで蜜の壺のようだ。そして、奥まで押し入れると、こつん、と優しく子宮口に受け止められる。

「み、美崎さんっ……ごめん、僕、もう……!」

ㅤそんな、あまりにも気持ちのいい行為だから、すぐに限界がやってきてしまった。生殖器の中を、じりじりと欲望が上ってきているのがわかる。

「ん、あ……っ、ええ、私も、よ……わたし、あっ……わたしも、いきそう……!」

ㅤその言葉で、もう加減なんか完全にいらなくなった。淫らに揺れる尻をわしづかみにして、激しく腰を打ち付ける。
ㅤそれに応えるように、美崎さんの膣も僕をきつく締めつけてくる。出し入れされる異物を、逃がすまいと熱く絡み付いてくる。
ㅤそんな、過剰といえるほどの性交に、すぐに限界は来た。

「んっ、あ……いく……!ㅤあ、あっ……!ㅤほんだ、くんっ……!」

ㅤきゅうう、と今までにない締め付け。それに導かれるように果てた。
ㅤ溜まりに溜まっていた白濁が、どくどくと吐き出される。

「あ、あっ、あぁ……んっ、でて、るわ……あなたの……すごい、脈、打って……」

ㅤ次第に、解放されるように締め付けが緩まる。そうして、優しく包み込まれる中で、僕も脱力した。とくん、とくん、と緩やかな射精。
ㅤ時々、美崎さんの身体が心地良さそうに痙攣する。そんな、甘い甘い絶頂の余韻。それにとろけるように、二人で身を任せた。


ㅤ窮屈な教室に、終業のチャイムが鳴る。夕日に照らされた、見慣れたいくつもの制服姿が、各々の意思で違った動きをする。友達同士でしゃべり始める者、足早に下校していく者。
ㅤそんな中の一人、美崎葵に目を向ける。今日も、彼女は一人だ。彼女に話しかける生徒はいない。
ㅤ僕もそうだ。そういう決まりになっている。だから、僕も一人で教室を後にした。


ㅤ夜、自宅の部屋で何をするでもなく、寝転んでいた時だ。ポケットのスマートフォンが振動する。
ㅤ取り出してロックを外すと、メッセージが一件。差出人は美崎葵。

『今日もいるわ』

ㅤ内容はただ一言、それだけだ。でも、ちゃんと意図はわかってる。
ㅤ今日は金曜日。今週もあの場所で、美崎さんが待っている。